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大井手哲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 大井手 哲 
Satoshi OIDE
基本情報
名前 大井手 哲
生年月日 (1961-11-24) 1961年11月24日(62歳)
身長 172 cm (5 ft 8 in)
体重 72 kg (159 lb)
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県
経歴
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大井手 哲(おおいで さとし、1961年11月24日 - )は、兵庫県出身のプロゴルファー

来歴

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1992年茨城オープンでは加藤仁岩下吉久に次ぐと同時に森茂則江本光小泉清一町野治小溝高夫渡辺由己を抑え、芹澤大介と並んでの3位タイ[1]に入った。

1998年にはアジアサーキットの新規大会「マカオオープン」でビジェイ・シンフィジーの旗 フィジー)、ジルベルト・モラレス(ベネズエラの旗 ベネズエラ)、ニック・ファルドイギリスの旗 イギリス)らとの優勝争いを制して4打差逆転優勝を飾るが、これがアジアサーキットでの日本人選手最後の優勝になる[2]

1999年にはアイフルチャレンジカップ・オータム[3]で国内初優勝を飾り、茨城オープンでは横山明仁と並んでの6位タイ[4]に入る。

2001年にはアジアPGAダビドフツアーで新規大会「タイランドマスターズ」で姜旭淳大韓民国の旗 韓国)の7位、ミャンマーオープンではアンソニー・カンアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)の9位という好成績を収める[5]

帰国後のつるやオープンではパープレーで折り返した1番パー4のピン左8mのバーディがカップに吸い込まれた瞬間から急にパットが入りだし、2番で2.5mのパーパットを沈め、3番で3m、4番は2mを入れて連続バーディを決める[5]。パットが入ると、ショットも良くなり、5アンダーの首位タイでホールアウト[5]

2002年JCBクラシック仙台ではパッティングの絶不調で予選落ちの不安もあったが、練習日にキャディから「パットのとき、が動きすぎています」と指摘され、膝を意識するのを止めて、パターヘッドを低く打ち出すようにする[6]。これが成功し、初日は6m以内のバーディチャンスを一つも外さず8バーディーを奪って[6]、7アンダーでクリスチャン・ペーニャ(アメリカ)と並んでの首位タイ[7]発進を決める。

2003年には関西オープンで優勝し[8]2005年には兵庫県オープン奥田靖己と並んでの5位タイ[9]に入り、2013年日本プロ[10]を最後にレギュラーツアーから引退。

主な優勝

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国内
  • 1999年 - アイフルチャレンジカップ・オータム
  • 2003年 - 関西オープン
海外
  • 1998年 - マカオオープン

脚注

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  1. ^ 【公式】水戸グリーンカントリークラブ
  2. ^ 【日本男子の海外挑戦記・昭和編 48】ゴルフ界のレベルアップに寄与したアジアサーキットの終焉
  3. ^ アイフルチャレンジカップ・オータム 1999
  4. ^ '99茨城オープンゴルフトーナメント
  5. ^ a b c 「アンダーでも安心できない!!」
  6. ^ a b 「これこそ、親孝行!!」
  7. ^ 大井手哲と、米国のクリスチャン・ペーニャ
  8. ^ 大会概要(大会歴史) | 関西オープンゴルフ選手権
  9. ^ 2005兵庫県オープンゴルフトーナメント
  10. ^ 大井手 哲選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site

外部リンク

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