泊駅 (三重県)
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泊駅 | |
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駅舎(2015年2月) | |
とまり TOMARI | |
◄南日永 (1.1 km) (0.7 km) 追分► | |
南東にイオンタウン四日市泊がある | |
所在地 | 三重県四日市市泊町3-20 |
所属事業者 | 四日市あすなろう鉄道 |
所属路線 | ■内部線 |
キロ程 | 3.6 km(あすなろう四日市起点) |
電報略号 | トマリ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
522人/日(降車客含まず) -2019年- |
乗降人員 -統計年度- |
938[1]人/日 -2019年- |
開業年月日 | 1922年(大正11年)1月10日 |
備考 | 無人駅(自動券売機 有) |
泊駅(とまりえき)は、三重県四日市市泊町にある、四日市あすなろう鉄道内部線の駅である。
概要
[編集]2015年(平成27年)に四日市あすなろう鉄道に移管されたが、今でも東海道に立っている看板には近鉄泊駅と表記されている。なお、当駅はイオンタウン四日市泊の最寄り駅でもある[2]。
歴史
[編集]- 1922年(大正11年)1月10日:三重鉄道の日永 - 小古曽間開通時に開業[3]。
- 1944年(昭和19年)2月11日:会社合併により三重交通の駅となる[3]。
- 1956年(昭和31年)11月:行違い設備設置。
- 1964年(昭和39年)2月1日:三重交通の鉄道事業分離譲渡により、三重電気鉄道の駅となる[3]。
- 1965年(昭和40年)4月1日:会社合併により近畿日本鉄道の駅となる[3]。
- 2015年(平成27年)4月1日:四日市あすなろう鉄道に移管。駅施設は四日市市の所有となる。
- 2021年(令和3年)8月21日:ICカード「ICOCA」の利用が可能となる[4][5]。
駅構造
[編集]島式ホーム1面2線を持つ、行違い可能な地上駅。ホーム有効長は3両分。あすなろう四日市駅管理の無人駅であるが、駅舎内に自動券売機があり乗車券の購入が可能。ICカードはIC改札機により対応する[4][5]。駅舎は線路東側の内部寄りにあり、ホームへは構内踏切で連絡している。
なお、当駅に入線する列車は左側通行ではなく右側通行となっている。1989年(平成元年)に行われた単線自動閉塞化にあわせて、従来の左側通行から改められた。また列車の行き違いは日永駅でもできるが、同駅では内部線列車と八王子線列車による行き違いがほとんどで、内部線を走行する上下列車同士の行き違いは主に当駅で行われる。
のりば
[編集]のりば | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | ■内部線 | 上り | 四日市方面 | 西日野方面は日永で乗換 |
2 | 下り | 内部方面 |
利用状況
[編集]「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである[6]。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 553 |
1998年 | 513 |
1999年 | 486 |
2000年 | 453 |
2001年 | 421 |
2002年 | 419 |
2003年 | 411 |
2004年 | 429 |
2005年 | 442 |
2006年 | 461 |
2007年 | 475 |
2008年 | 481 |
2009年 | 464 |
2010年 | 465 |
2011年 | 479 |
2012年 | 515 |
2013年 | 537 |
2014年 | 543 |
2015年 | 566 |
2016年 | 495 |
2017年 | 496 |
2018年 | 478 |
2019年 | 522 |
泊駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(泊駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1958年(昭和33年) | 307,528 | ←←←← | 148,734 | 456,262 | |||
1959年(昭和34年) | ←←←← | ||||||
1960年(昭和35年) | ←←←← | ||||||
1961年(昭和36年) | ←←←← | ||||||
1962年(昭和37年) | ←←←← | ||||||
1963年(昭和38年) | ←←←← | ||||||
1964年(昭和39年) | ←←←← | ||||||
1965年(昭和40年) | 340,430 | ←←←← | 163,723 | 504,153 | |||
1966年(昭和41年) | 314,160 | ←←←← | 168,097 | 482,257 | |||
1967年(昭和42年) | 328,760 | ←←←← | 179,477 | 508,237 | |||
1968年(昭和43年) | 296,250 | ←←←← | 205,459 | 501,709 | |||
1969年(昭和44年) | 300,600 | ←←←← | 208,737 | 509,337 | |||
1970年(昭和45年) | 296,550 | ←←←← | 188,085 | 484,635 | |||
1971年(昭和46年) | 298,530 | ←←←← | 165,926 | 464,456 | |||
1972年(昭和47年) | 267,330 | ←←←← | 139,587 | 406,917 | |||
1973年(昭和48年) | 281,100 | ←←←← | 142,369 | 423,469 | |||
1974年(昭和49年) | 281,070 | ←←←← | 147,271 | 428,341 | |||
1975年(昭和50年) | 263,100 | ←←←← | 149,319 | 412,419 | |||
1976年(昭和51年) | 245,520 | ←←←← | 102,073 | 347,593 | |||
1977年(昭和52年) | 234,870 | ←←←← | 96,904 | 331,774 | |||
1978年(昭和53年) | 224,430 | ←←←← | 96,556 | 320,986 | |||
1979年(昭和54年) | 205,950 | ←←←← | 89,525 | 295,475 | |||
1980年(昭和55年) | 212,550 | ←←←← | 89,589 | 302,409 | |||
1981年(昭和56年) | 205,890 | ←←←← | 82,705 | 288,595 | |||
1982年(昭和57年) | 194,970 | ←←←← | 86,891 | 281,861 | 11月16日 | 1,215 | |
1983年(昭和58年) | 183,330 | ←←←← | 89,373 | 272,703 | 11月8日 | 1,605 | |
1984年(昭和59年) | 174,840 | ←←←← | 84,951 | 259,791 | 11月6日 | 1,170 | |
1985年(昭和60年) | 161,370 | ←←←← | 82,633 | 244,003 | 11月12日 | 1,093 | |
1986年(昭和61年) | 161,250 | ←←←← | 89,518 | 250,768 | 11月11日 | 1,144 | |
1987年(昭和62年) | 165,540 | ←←←← | 80,871 | 246,411 | 11月10日 | 1,059 | |
1988年(昭和63年) | 170,220 | ←←←← | 83,247 | 253,467 | 11月8日 | 1,089 | |
1989年(平成元年) | 161,160 | ←←←← | 79,807 | 240,967 | 11月14日 | 1,105 | |
1990年(平成2年) | 164,460 | ←←←← | 74,500 | 238,960 | 11月6日 | 1,078 | |
1991年(平成3年) | 163,410 | ←←←← | 74,028 | 237,438 | |||
1992年(平成4年) | 156,870 | ←←←← | 74,632 | 231,502 | 11月10日 | 934 | |
1993年(平成5年) | 143,850 | ←←←← | 75,619 | 219,469 | |||
1994年(平成6年) | 140,880 | ←←←← | 84,122 | 225,002 | |||
1995年(平成7年) | 150,030 | ←←←← | 100,651 | 250,681 | 12月5日 | 999 | |
1996年(平成8年) | 135,240 | ←←←← | 86,515 | 221,755 | |||
1997年(平成9年) | 119,730 | ←←←← | 82,153 | 201,883 | |||
1998年(平成10年) | 112,410 | ←←←← | 74,991 | 187,401 | 11月10日 | 821 | |
1999年(平成11年) | 111,990 | ←←←← | 65,787 | 177,777 | |||
2000年(平成12年) | 104,340 | ←←←← | 60,929 | 165,269 | |||
2001年(平成13年) | 94,710 | ←←←← | 59,009 | 153,719 | |||
2002年(平成14年) | 94,920 | ←←←← | 57,940 | 152,860 | |||
2003年(平成15年) | 95,160 | ←←←← | 55,388 | 150,548 | 11月11日 | 719 | |
2004年(平成16年) | 95,550 | ←←←← | 58,342 | 153,892 | |||
2005年(平成17年) | 105,390 | ←←←← | 56,000 | 161,390 | 11月8日 | 720 | |
2006年(平成18年) | 112,530 | ←←←← | 55,783 | 168,313 | |||
2007年(平成19年) | 118,080 | ←←←← | 55,736 | 173,816 | |||
2008年(平成20年) | 119,160 | ←←←← | 56,231 | 175,391 | 11月5日 | 790 | |
2009年(平成21年) | ←←←← | ||||||
2010年(平成22年) | ←←←← | 11月9日 | 829 | ||||
2011年(平成23年) | ←←←← | ||||||
2012年(平成24年) | ←←←← | 11月13日 | 824 | ||||
2013年(平成25年) | ←←←← | ||||||
2014年(平成26年) | ←←←← | ||||||
2015年(平成27年) | ←←←← | ||||||
2016年(平成28年) | ←←←← |
駅周辺
[編集]住宅地となっているが、寺院・保育園・医療機関もある。国道1号は東へ少し離れた所を通る。ショッピングセンターはこの国道沿いにあり、その近隣には飲食店やコンビニもある。
- 三重県立総合医療センター
- イオンタウン四日市泊
- 四日市市立泊山幼稚園
- 光明寺
- 泊山公園 - 園内にある忠霊塔で四日市市戦没者合同追悼式が開催される[7][8][9]。
- JR東海関西本線南四日市駅
- 国道1号
- 三重県道44号宮妻峡線
- 三重県道629号宮東日永線
- 旧東海道
バス路線
[編集]三重県道44号線沿いに「泊駅口」停留所があり、三重交通の路線が経由する。駅東側にあるショッピングセンター内に「イオンタウン四日市泊」停留所があるため、ここでは同停留所を経由する路線も解説する。
- 泊駅口
- 43系統
- 92系統(※四日市市自主運行バス)
- 磯津 / 高花平、県立総合医療センター
※「イオンタウン四日市泊」停留所は、こにゅうどうくんライナーも経由する。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ “令和元年度移動等円滑化取組報告書(鉄道駅)” (PDF). 四日市あすなろう鉄道. 2021年4月18日閲覧。
- ^ “アクセス・施設案内”. イオンタウン四日市泊. イオンタウン. 2023年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月27日閲覧。
- ^ a b c d 曽根悟(監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 2号 近畿日本鉄道 1、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月22日、18-23頁。ISBN 978-4-02-340132-7。
- ^ a b “交通系ICカードシステムの導入について”. 四日市あすなろう鉄道 (2021年8月3日). 2021年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月19日閲覧。
- ^ a b “四日市市 あすなろう鉄道 ICカードシステム導入、21日から 三重”. 伊勢新聞. (2021年8月4日). オリジナルの2021年8月4日時点におけるアーカイブ。 2021年9月19日閲覧。
- ^ 三重県統計書 - 三重県
- ^ “第50回四日市市戦没者合同追悼式について”. 平成28年10月26日 記者発表資料. 四日市市 (2016年10月26日). 2022年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月27日閲覧。
- ^ 「戦没者へ黙とう、平和誓う 四日市市合同追悼式」『中日新聞』2020年11月4日。オリジナルの2020年11月5日時点におけるアーカイブ。2023年12月27日閲覧。
- ^ “平和への努力誓う 第56回四日市市戦没者合同追悼式開く”. ユーよっかいち. 株式会社ユー (2022年11月3日). 2023年12月27日閲覧。