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池田長溥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
池田長溥
時代 江戸時代後期
生誕 享和3年5月28日1803年7月16日
死没 嘉永6年11月10日1853年12月10日
改名 虎彦(幼名)、長溥
別名 修理(通称)
戒名 玄隆院義嶽徹翁大禅門
墓所 東京都港区高輪の東禅寺
官位 従五位下筑後守
幕府 江戸幕府 旗本大目付
主君 徳川家斉家慶
氏族 分部氏池田氏(長吉流)
父母 分部光池田長喬
兄弟 分部光弘分部光邦、唯之助、溝口勝匡長溥小出英筠継室、田沼意留継室、
安部信操正室、森川俊知継室、
長岡義之室、高力某養女、久留某養女
林述斎養女
林大学頭健室、分部光貞室、長発
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池田 長溥(いけだ ながひろ)は、江戸時代後期の旗本井原池田氏(長吉流)9代当主。官位従五位下筑後守

略歴

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享和3年(1803年)、近江国大溝藩8代藩主・分部光実の五男として誕生。光実が池田長信の来孫にあたるという縁から、文化5年(1808年)12月、旗本・池田長喬末期養子となり、禄高900石を相続し小普請組に入る。書院番、進物番、西の丸小十人頭となり、布衣を着することを許される。

天保6年(1835年)3月、西の丸目付。天保7年(1836年)本丸目付。天保12年(1841年)普請奉行。天保14年(1843年作事奉行弘化2年(1845年)300石加増。弘化3年(1846年)には大目付に就任した。

嘉永6年(1853年)11月10日、死去。享年51。跡を養子・長発が継いだ。

系譜

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先代
池田長喬
井原池田家(池田修理家)
9代
1808年 - ?
次代
池田長発