池田澄時
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 明和6年3月22日(1769年4月28日) |
死没 | 天明5年7月21日(1785年8月25日) |
改名 | 亀丸・亀三郎(幼名)、澄時 |
別名 | 主計(通称) |
戒名 | 真常院殿本覚浄光 |
墓所 | 鳥取藩主池田家墓所 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 因幡国鹿奴藩主 |
氏族 | 池田氏(因州家→鹿奴家) |
父母 |
父:池田重寛、母:村上氏 養父:池田延俊 |
兄弟 | 治恕、治道、澄時、糸子(池田斉政室)、本子(松平信成室)、仲雅 |
妻 | 正室:浅野長喬の娘と婚約 |
子 |
実子:なし 養子:仲雅 |
池田 澄時(いけだ すみとき)は、因幡鹿奴藩(鳥取東館新田藩)の第6代藩主。
略歴
[編集]明和6年(1769年)3月22日、因幡鳥取藩の第5代藩主・池田重寛の三男として鳥取城で生まれる。
明和8年(1771年)に鹿奴藩の第5代藩主・延俊が死去したため、その養子として家督を継いだ。初代仲澄、4代澄延(延俊の兄)の偏諱である「澄」の字を受けて澄時と名乗る。
天明5年(1785年)6月、江戸城神田橋門番に任じられるが、7月21日に江戸で死去した。享年17。跡を異母弟で養子の澄教(仲雅)が継いだ。