松平信成
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 明和4年8月27日(1767年9月19日) |
死没 | 寛政12年4月12日(1800年5月5日) |
改名 | 栄松(幼名)→信成 |
戒名 | 徳恩院殿彰応恵惇大居士 |
墓所 | 東京都新宿区富久町の自證院 |
官位 | 従四位下、侍従、左兵衛佐 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 上野吉井藩主 |
氏族 | 鷹司松平家 |
父母 | 父:松平信有、養父:松平信明 |
兄弟 | 信成、房矩、房堅、辰五郎、繁次 |
妻 | 本姫(池田重寛の娘) |
子 |
房府(次男)、信敬(三男)、 養子:信充 |
松平 信成(まつだいら のぶしげ)は、上野吉井藩の第5代藩主。鷹司松平家7代。
明和4年(1767年)8月27日、第3代藩主・松平信有の次男として生まれる。安永4年(1775年)に第4代藩主・松平信明が死去したため、その養子となって家督を継ぐ。天明3年(1783年)4月1日、将軍徳川家治に拝謁する。同年12月18日、従四位下侍従・左兵衛佐に叙任している。後に左兵衛督に改める。
藩政では、天明元年(1781年)の絹糸運上事件による打ちこわし、天明3年(1783年)の天明の大飢饉による被害などで多難であった。
寛政12年(1800年)2月13日、家督を養子の信充(信明の次男)に譲って隠居する。その直後の4月12日に死去した[1]。享年34。
系譜
[編集]父母
正室
- 本姫 - 池田重寛の娘
子女
養子
脚注
[編集]- ^ 「明治二十六年正月 吉井藩主系図」(『群馬県史 資料編9(近世1 西毛地域1)』(群馬県、1977年)p.175)。公には4月19日死去とされた。