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松平信成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平信成
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和4年8月27日1767年9月19日
死没 寛政12年4月12日1800年5月5日
改名 栄松(幼名)→信成
戒名 徳恩院殿彰応恵惇大居士
墓所 東京都新宿区富久町の自證院
官位 従四位下、侍従左兵衛佐
幕府 江戸幕府
上野吉井藩
氏族 鷹司松平家
父母 父:松平信有、養父:松平信明
兄弟 信成房矩房堅、辰五郎、繁次
本姫池田重寛の娘)
房府(次男)、信敬(三男)、
養子:信充
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松平 信成(まつだいら のぶしげ)は、上野吉井藩の第5代藩主。鷹司松平家7代。

明和4年(1767年)8月27日、第3代藩主・松平信有の次男として生まれる。安永4年(1775年)に第4代藩主・松平信明が死去したため、その養子となって家督を継ぐ。天明3年(1783年)4月1日、将軍徳川家治に拝謁する。同年12月18日、従四位侍従・左兵衛佐に叙任している。後に左兵衛督に改める。

藩政では、天明元年(1781年)の絹糸運上事件による打ちこわし、天明3年(1783年)の天明の大飢饉による被害などで多難であった。

寛政12年(1800年)2月13日、家督を養子の信充(信明の次男)に譲って隠居する。その直後の4月12日に死去した[1]。享年34。

系譜

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父母

正室

子女

養子

脚注

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  1. ^ 「明治二十六年正月 吉井藩主系図」(『群馬県史 資料編9(近世1 西毛地域1)』(群馬県、1977年)p.175)。公には4月19日死去とされた。