池田定就
表示
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
---|---|
生誕 | 享保9年4月27日(1724年5月19日) |
死没 | 寛政2年2月5日(1790年3月20日) |
改名 | 隼之助(幼名)、定就 |
戒名 | 広運院丈英浄芳 |
墓所 | 鳥取県鳥取市国府町 池田家墓所 |
官位 | 従五位下、下野守、甲斐守、兵庫頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 因幡国若桜藩主 |
氏族 | 池田氏 |
父母 | 父:池田定賢、母:正木氏 |
兄弟 |
定就、幸子、巌子、幾子、和田定信、留子、 之茂、直子、信子(津田元武室)、就高 |
妻 | 側室:山瀬氏 |
子 | 定得 |
池田 定就(いけだ さだより)は、因幡若桜藩(鳥取西館新田藩)の第3代藩主。
略伝
[編集]享保9年(1724年)4月27日、第2代藩主・池田定賢の長男として鳥取で生まれる。元文元年(1736年)に父が死去したため、家督を継いだ。12月16日に従五位下・下野守に叙位・任官する。延享3年(1746年)7月5日に甲斐守に遷任され、寛延4年(1751年)4月18日に兵庫頭に遷任される。
宝暦10年(1760年)9月に駿府加番に任じられ、その後も江戸城御門番に任じられた。明和5年(1768年)4月13日、家督を長男・定得に譲って隠居する。5ヵ月後の9月に因幡に戻り、以後は悠々自適な隠居生活を送り、寛政2年(1790年)2月5日に死去した。享年67。