毛利春直
表示
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 寛文4年12月18日(1665年2月2日) |
改名 | 繁沢勝九郎(幼名)→毛利春直 |
別名 |
榎本春直 通称:一郎兵衛、五右衛門、主馬 |
戒名 | 春岳誠心 |
主君 | 毛利秀就→綱広 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 阿川毛利家 |
父母 | 父:毛利元景 |
兄弟 |
虎徳丸、就方、女(早世)、就貞、元棟、 繁沢元清、春直、女(児玉元征室)、 赤川就直、吉川正俊、繁沢就景、 赤木就武、三浦就正、毛利就嘉、女(早世) |
子 | 繁沢直久 |
毛利 春直(もうり はるなお)は、江戸時代前期の長州藩士。父は長州藩一門家老である阿川毛利家の2代当主・毛利元景。兄は3代当主・就方や就貞など。
生涯
[編集]長州藩一門家老である阿川毛利家の2代当主・毛利元景の七男として生まれる。
承応2年(1653年)に毛利家家老の福原元俊が死去し、それまで証人として江戸へ上っていた福原広俊が承応3年(1654年)に父・元俊の跡を継いだため、春直が替わりの証人として江戸へ上って働いた。
寛文4年(1664年)12月18日に江戸で病死し、嫡男の直久が後を継いだ。墓は長門国豊浦郡阿川村に建てられた。
参考文献
[編集]- 『萩藩閥閲録』巻129「繁澤五右衛門」
- 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。OCLC 703821998。全国書誌番号:73004060。国立国会図書館デジタルコレクション