横田忠義
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基本情報 | |||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1947年9月26日 | ||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 香川県三豊市 | ||||||||||||||||||||||||||
没年月日 | 2023年5月9日(75歳没) | ||||||||||||||||||||||||||
死没地 | 北海道旭川市 | ||||||||||||||||||||||||||
身長 | 193cm[1] | ||||||||||||||||||||||||||
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横田 忠義(よこた ただよし、1947年9月26日 - 2023年5月9日)は、日本の元バレーボール選手、元全日本女子監督。
香川県三豊市出身。息子に元堺ブレイザーズ・福岡ウイニングスピリッツの横田一義がいる。
来歴
[編集]- 香川県立多度津工業高等学校から中央大学に進学し、19歳で全日本入り[2]。
- 1968年、メキシコ五輪で銀メダルを獲得。1970年に松下電器(現パナソニック)に入社。強烈なクロス打ちの名手として活躍した。
- 1972年、ミュンヘン五輪で金メダルを獲得、大古誠司、森田淳悟とともにビッグスリーの一角を担った。
- 1976年、モントリオール五輪で4位に入賞した。
- 1978年、現役を引退。
- NECホームエレクトロニクスの監督を経て、1994年に全日本女子監督に就任。しかし同年アジア大会3位、世界選手権7位と振るわず、1995年3月に退任となった。
- 2010年に夫人の実家がある北海道旭川市に転居し、競技普及活動を行っていた[3]。
- 2023年5月9日、闘病生活の末に死去した[3]。75歳没。
球歴・受賞歴
[編集]脚注
[編集]- ^ バレーボール 横田忠義死去 75歳 ミュンヘン五輪 金メダル 2023年5月17日 NHK閲覧。
- ^ Vol. 2 僕のヒーロー(前編)│社長対談│株式会社ブティックオーサキ
- ^ a b "ミュンヘン五輪「金」横田忠義さん死去…男子バレーのエース「全日本のビッグスリー」". 讀賣新聞ONLINE. 読売新聞社. 17 May 2023. 2023年5月17日閲覧。
外部リンク
[編集]- 第2回FNS春高バレーコーチングキャラバン - ウェイバックマシン(2003年4月27日アーカイブ分)