山内美加
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1969年10月7日(55歳) | |||
出身地 | 秋田県由利郡大内町(現由利本荘市) | |||
ラテン文字 | Mika Yamauchi | |||
身長 | 182cm | |||
体重 | 69kg | |||
血液型 | O型 | |||
選手情報 | ||||
愛称 | ミカ | |||
ポジション | レフト | |||
指高 | 231cm | |||
利き手 | 右 | |||
スパイク | 317cm | |||
ブロック | 294cm |
山内 美加(やまうち みか、現姓:藤本(ふじもと)、1969年10月7日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。
来歴
[編集]秋田県由利郡大内町(現由利本荘市)出身。秋田県立由利高等学校卒業後、1988年ダイエーバレーボール部に入部。徐々にレギュラーに定着し、1990年代に入ってチームの上昇と共に注目を集め、1995年第1回Vリーグでは、ダイエー悲願の初優勝に大きく貢献した。
1990年代、世界で主流になってきたバックアタックを、日本人で打ちこなせる選手がほとんどいない中、当時の監督アリー・セリンジャーがパワフルなスパイクを打つ彼女の素質と適性を見抜き、計画的なトレーニングを行った結果、最高到達点317cmという当時の日本人女子選手最高の高さを身につけるとともに、バックアタッカーとして開花し日本のエースへ成長した。欧米流のブロードジャンプに整ったフォームから、レフト、ライト、センターどこからでもバックアタックを打つことができた。
1997年に結婚し現役引退。同年10月10日、グリーンスタジアム神戸で行われた「オレンジアタッカーズファン感謝DAY」において、引退セレモニーが行われた[1]。
引退後はバレーボールの解説やバレー教室の指導者として活動している傍ら、2019年ごろから、徳島県松茂町総合体育館で職員として勤務し[2]、バレーボール教室も行っている。
人物・エピソード
[編集]- 1995年4月11日にダイエーと国内[3]プロ契約第1号を締結している。契約金はなく、年俸はミレヤ・ルイスなどの外国人選手なみと発表された[4]。
- 夫は元プロ野球選手(オリックス)の藤本俊彦[5]。ふたりの娘の母となり、ふたりともバスケットボール選手となった。次女の藤本愛瑚はJX-ENEOSサンフラワーズでプレーしており[6]、長女の藤本愛妃もユニバーシアード日本代表として2017年ユニバーシアード台北大会で銀メダルを獲得した[6]。
球歴
[編集]受賞歴
[編集]- 1991年 - 第25回日本リーグ 猛打賞、ベスト6
- 1992年 - 第26回日本リーグ 猛打賞、ベスト6
- 1992年 - 第41回黒鷲旗 黒鷲賞(最高殊勲選手)、ベスト6
- 1993年 - 第27回日本リーグ 敢闘賞、ベスト6
- 1994年 - 第43回黒鷲旗 敢闘賞、ベスト6
- 1995年 - 第44回黒鷲旗 ベスト6
所属チーム
[編集]- 大内町立出羽中学校
- 秋田県立由利高等学校
- ダイエーオレンジアタッカーズ(1988-1997年)
写真集
[編集]- Mika 1988-1997 山内美加写真集(1997/04 日本文化出版)ISBN 4890840184
脚注
[編集]- ^ 月刊バレーボール 1997年12月号 90ページ
- ^ “【スポーツ】母は元バレー代表の美人エース、娘2人は女子バスケのホープ 夢は2世代オリンピアン/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online (2024年3月16日). 2024年3月16日閲覧。
- ^ 日本人選手が国外でプロ契約した事例では、大林素子と吉原知子がイタリアでプロ契約している
- ^ JVA Volleyball 1995年5月号 8ページ (財)日本バレーボール協会刊
- ^ 月刊バレーボール 1997年7月号 50ページ
- ^ a b “【Wリーグ開幕】JX-ENEOSが11連覇へ好発進 次世代を担う選手の活躍に期待”. SPAIA. 株式会社グラッドキューブ: p. 2. (2018年10月24日) 2019年1月21日閲覧。