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桑山栄晴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
桑山 栄晴
時代 江戸時代前期
生誕 元和5年 (1619年)
死没 延宝7年6月11日 (1679年7月18日)
改名 栄晴→顕光(法名)
別名 主水
墓所 建長寺
幕府 江戸幕府旗本 書院番進物番
主君 徳川秀忠家光家綱
氏族 桑山氏
父母 父:桑山元晴
兄弟 清晴貞晴栄晴岡部宣勝
河野松安の娘
直晴
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桑山 栄晴 (くわやま よしはる)は、江戸時代前期の旗本

経歴

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御所藩主・桑山元晴の三男として生まれる。兄・貞晴の臨終の際、末期養子となることを認められなかったが、寛永7年(1630年)6月、父祖の勲功から名跡を相続することは認められた。寛永11年(1634年)12月に廩米500俵を賜り、正保3年(1646年)12月4日に書院番に列して新恩500俵を賜る。慶安3年(1650年)9月3日、徳川家綱附属の家臣となって西ノ丸に勤め、その後本城勤めとなる。承応元年(1652年)6月26日より進物番となる。延宝7年(1679年)6月11日、61歳で死去。

系譜

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参考文献

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