桑山栄晴
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 元和5年 (1619年) |
死没 | 延宝7年6月11日 (1679年7月18日) |
改名 | 栄晴→顕光(法名) |
別名 | 主水 |
墓所 | 建長寺 |
幕府 | 江戸幕府旗本 書院番、進物番 |
主君 | 徳川秀忠、家光、家綱 |
氏族 | 桑山氏 |
父母 | 父:桑山元晴 |
兄弟 | 清晴、貞晴、栄晴、岡部宣勝室 |
妻 | 河野松安の娘 |
子 | 直晴 |
経歴
[編集]御所藩主・桑山元晴の三男として生まれる。兄・貞晴の臨終の際、末期養子となることを認められなかったが、寛永7年(1630年)6月、父祖の勲功から名跡を相続することは認められた。寛永11年(1634年)12月に廩米500俵を賜り、正保3年(1646年)12月4日に書院番に列して新恩500俵を賜る。慶安3年(1650年)9月3日、徳川家綱附属の家臣となって西ノ丸に勤め、その後本城勤めとなる。承応元年(1652年)6月26日より進物番となる。延宝7年(1679年)6月11日、61歳で死去。
系譜
[編集]参考文献
[編集]- 『寛政重脩諸家譜』第6輯,國民圖書,1923. 国立国会図書館デジタルコレクション 95コマ目 https://dl.ndl.go.jp/pid/1082716/1/95 (参照 2024-07-10)