桑原八司
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桑原 八司(くわはら やつし、1869年5月24日(明治2年4月13日[1]) - 没年不明)は、明治時代後期から大正時代の朝鮮総督府官僚。文部官僚。咸鏡北道長官。忠清南道長官(知事)。
経歴
[編集]桑原苞の長男として岐阜県に生まれ、1875年(明治8年)7月に家督を相続する[1]。1893年(明治26年)東京帝国大学法科大学を卒業する[1]。群馬県属、文部省属[2]、宮城、岩手両県への出張[3]、香川県属を経て[4]、秘書官として朝鮮総督府に出仕[5]。咸鏡北道長官を務めたのち[1][6]、忠清南道長官(のち知事)に転じた[7]。1921年(大正10年)9月25日、退官した[8]。
著作
[編集]- 閲『教育法規類纂』南中舎、1900年。
- 閲『小学校書方教授法』香川県師範学校同窓会、1905年。
- 『機関説の排撃』帝国在郷軍人会本部、1935年。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。