コンテンツにスキップ

林信光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はやし のぶみつ[1]

林 信光[1]
生誕 1957年5月11日
日本の旗 日本京都府[1]
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学法学部卒業[1]
テンプレートを表示

林 信光(はやし のぶみつ、1957年5月11日 - )は、日本の元財務官僚、第45代国税庁長官

京都府出身[1]洛星高等学校を経て[2]1980年 東京大学法学部卒業、大蔵省入省[1]1982年 国際通貨基金派遣[3]1985年7月 浜田税務署長、1986年7月 国税庁長官官房総務課国際業務室課長補佐[4]1988年 大臣官房秘書課長補佐(財務官室担当)[5][6]1989年 主計局法規課長補佐[6]1990年 主計局主計官補佐(経済協力第二係)[6]1991年 主計局主計官補佐(郵政係)[6]1993年 国際金融局国際機構課長補佐(総括・企画担当)[7][6]1995年 大臣官房文書課長補佐兼大臣官房文書課法令審査室長[6]1996年7月 大臣官房企画官兼大臣官房文書課[6]1997年7月17日 山形県総務部長、2000年7月 主計局共済課長、2001年1月6日 財務省大臣官房付、2003年7月 主計局主計官(公共事業総括担当)、2005年7月 大臣官房参事官(大臣官房担当)。高額の予算を扱う花形ポストである公共事業総括担当主計官からの異動となった。一般的には大臣官房担当の参事官は待機ポストとされ、官僚にとっては「次の異動までの束の間の骨休め」となるところだが、林には政策金融改革問題に財務省が対応する際の基本的戦略の構築が託されたという[8]2006年7月28日 大臣官房総合政策課長2007年7月10日 大臣官房文書課長、同年9月26日 福田康夫内閣総理大臣秘書官(事務担当)、2008年9月24日 大臣官房参事官(副財務官、大臣官房担当)、2010年7月30日 国際復興開発銀行理事[1]2012年8月17日 財務総合政策研究所[1]2013年3月29日 理財局長(6月28日まで財務総研所長兼務)[1]を経て、2014年7月4日 国税庁長官2015年7月7日 退官。2016年6月 国際協力銀行代表取締役専務取締役[9]2018年6月 国際協力銀行代表取締役副総裁[10]2022年5月 国際協力銀行代表取締役総裁[11]

同期入省

[編集]

著作

[編集]
  • 林信光編著『図説 日本の財政(平成19年度版)』東洋経済新報社、2007年08月10日、ISBN:9784492031841

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i “財務省、理財局長に林氏を起用”. 日本経済新聞. (2013年3月28日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2703P_X20C13A3EE8000/ 2018年3月15日閲覧。 
  2. ^ 財務省・佐藤慎一主税局長の蹉跌(中)NET IB news 2015年11月05日 07:03
  3. ^ 神一行『大蔵官僚 超エリート集団の人脈と野望』講談社、1982年8月1日発行、319頁
  4. ^ 官報 第17824号』1986年7月14日発行
  5. ^ 『大蔵省職員録 昭和63年版』大蔵財務協会、1987年10月発行
  6. ^ a b c d e f g 『大蔵省名鑑 1997年版』時評社、1996年12月発行、12頁
  7. ^ 『大蔵要覧 平成6年版』1993年12月発行
  8. ^ 財界 第53巻、第20〜24号』2005年発行、112頁
  9. ^ 役員人事について” (PDF). 株式会社国際協力銀行 (2017年6月22日). 2018年3月15日閲覧。
  10. ^ 役員の氏名及び経歴 (PDF)
  11. ^ 国際協力銀行、林総裁が就任「企業の供給網強化を支援」日経電子版 2022年6月22日

関連項目

[編集]
官職
先代
稲垣光隆
国税庁長官
第45代:2014年7月4日 - 2015年7月7日
次代
中原広
先代
古澤満宏
財務省理財局
第47代:2013年3月29日 - 2014年7月3日
次代
中原広
先代
稲垣光隆
財務省財務総合政策研究所
2012年8月17日 - 2013年6月28日
次代
中原広
先代
式部透
国際復興開発銀行日本理事
2010年7月30日 - 2012年8月
次代
鈴木英明
先代
鈴木正規
山形県総務部
1997年7月17日 - 1999年7月18日
次代
宮内豊
ビジネス
先代
前田匡史
国際協力銀行総裁
2022年 -
次代
現職