松村義一
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松村 義一(まつむら ぎいち、1883年(明治16年)9月7日[1] - 1959年(昭和34年)1月6日[1])は、明治末から昭和前期の内務官僚、政治家。憲政会系官選県知事、貴族院勅選議員。
経歴
[編集]山口県都濃郡、現在の下松市[2]で商業・松村冷蔵の長男として生まれる[1]。山口中学校、山口高等学校を経て、1909年(明治42年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業[1]。1910年(明治43年)11月、文官高等試験行政科試験に合格[1]。内務省に入り、神奈川県属として内務部地方課に配属された[1]。
1911年(明治44年)4月、神奈川県試補となる[1]。以後、佐賀県事務官、同県視学官、鳥取県視学官、石川県警察部長、広島県警察部長、警察講習所教授兼内務省参事官、山形県内務部長、和歌山県内務部長などを歴任[1]。
1924年(大正13年)7月、大分県知事に就任。1925年(大正14年)9月、内務省警保局長に転じ、1927年(昭和2年)4月まで在任し退官した[1]。同年同月18日、貴族院勅選議員に任じられ[3]、公正会に属し1946年(昭和21年)6月18日まで在任[4][5]。1931年(昭和6年)4月から同年12月まで、第2次若槻内閣の商工政務次官を務めた[1]。
戦後、1946年6月から1951年(昭和26年)8月まで公職追放となった[1]。1959年1月6日死去。享年75。