松平康保
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 天明2年12月10日(1783年1月12日) |
死没 | 文久元年5月12日(1861年6月19日) |
改名 | 熊吉(幼名)、康保、蘭斎(号) |
戒名 | 隆崇院薫譽德興蘭齋大居士 |
官位 | 従五位下 左京亮、修理亮 |
藩 | 石見浜田藩世嗣 |
氏族 | 藤原姓前田家→松井松平家 |
父母 |
前田清長 松平康定 |
兄弟 | 前田珍長、康英、前田長皓、康保ら |
子 | 賢太郎、政之助、歌 |
松平 康保(まつだいら やすもち)は、江戸時代中期から後期にかけての石見国浜田藩の世嗣。官位は従五位下・左京亮、修理亮。
略歴
[編集]高家旗本・従五位下・侍従・隠岐守前田清長の八男として誕生した。幼名は熊吉。
寛政6年(1794年)4月7日、叔父・松平康定の養子となり、寛政8年(1796年)に叙任する。しかし、寛政11年(1799年)10月に病気を理由に廃嫡され、家督を継ぐことはなく隠居、蘭斎と号した。代わって、松井松平家分家の旗本家から康任が養子に迎えられた。
文久元年(1861年)5月10日、80歳で死去し、上野・谷中延命院に葬られた。法号は隆崇院薫譽德興蘭齋大居士。
康保には2男1女の3人の子があり、男子は賢太郎、政之助で長女が歌という。後年、歌は高家前田家7代前田長義の養女となり、8代前田長徳の正室となる。
系譜
[編集]子女は2男1女
参考資料
[編集]- 「前田家系譜」
- 「前田家先祖書」
- 「前田家過去帳」