前田長徳
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時代 | 江戸時代後期 - 末期(幕末) |
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生誕 | 文化7年6月9日(1810年7月10日) |
死没 | 慶応元年10月29日(1865年12月16日) |
別名 | 貞之丞、主馬(通称) |
戒名 | 賢德院拾遺補闕普観圓休大居士 |
墓所 | 東京都新宿区富久町の自證院 |
官位 | 従五位下、侍従、上総介 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶→家定→家茂 |
氏族 | 諏訪氏→前田家 |
父母 | 父:諏訪忠粛、養父:前田長義 |
兄弟 | 諏訪忠恕、森川俊一、長徳、松平忠恵継室、諏訪頼安室、平野貞任室 |
妻 | 正室:歌(前田長義の養女、松平康保の長女) |
子 | 養子:長禮、光(加藤明邦の娘、前田長禮室) |
前田 長徳(まえだ ながのり)は、江戸時代の高家旗本。高家前田家の第7代当主。
文化7年(1810年)、信濃高島藩主諏訪因幡守忠粛の三男に生まれる。天保5年(1834年)3月4日、高家旗本前田出雲守長義の婿養子となる。天保9年(1838年)5月15日、将軍徳川家斉に御目見し、表高家となる。天保13年(1842年)12月6日、養父の隠居により家督を相続した。安政3年(1856年)11月15日、従五位下侍従・上総介に叙任し高家役となる。慶応元年(1865年)10月29日死去、享年56。
参考文献
[編集]- 「前田家先祖書」
- 「前田家系譜」
- 『寛政重修諸家譜』
- 「諏訪家譜」(『諏訪史料叢書』第27巻)