松平信正 (大河内松平家)
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 寛延元年10月13日(1748年11月3日) |
死没 | 明和5年7月22日(1768年9月2日)) |
改名 | 辰五郎→信正 |
戒名 | 槐窓院殿了夢知覚居士 |
墓所 | 埼玉県新座市野火止の平林寺 |
氏族 | 大河内松平家 |
父母 | 父:松平信復、母:蘭(側室 岸田氏、国香院) |
兄弟 |
某、信礼、某、信正、本庄道揚、壬次、遠藤胤富、 振(池田政香室)、悦(鍋島直益室)、元(大久保教和養女) |
松平 信正(まつだいら のぶまさ)は、遠江浜松藩第2代藩主・三河吉田藩初代藩主・松平信復の四男。
生涯
[編集]寛延元年(1748年)10月13日、松平信復の四男(ただし長男と三男は早世しているため次男として扱われる)として江戸で生まれる。宝暦7年(1757年)10月1日、叔父中川久貞の屋敷に招かれ能を見物した。明和3年(1766年)12月、従兄弟にあたる美濃高富藩主・本庄道信の急養子にという話が持ち上がるが、道信と同年齢であったことが障害となり、結局弟の音次郎(道揚)が本庄家に養子に入ることで決着した。
明和5年(1768年)7月22日に谷中下屋敷で死去した。享年21。父信復は国元の吉田に在城中であったが、この訃報にショックを受けたこともあってか体調を崩し、約2か月後の9月19日に死去している。
参考文献
[編集]- 『豊橋市史』第6巻
- 『豊橋市史史料叢書 吉田藩江戸日記』