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松尾英三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松尾 英三(まつお えいぞう、1931年2月20日 - )は、日本実業家。元島原鉄道社長。雲仙普賢岳の噴火に伴う土石流により一部区間が寸断された島原鉄道の再建に尽力した[1]

経歴・人物

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1931年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校長崎大学経済学部を経て、1954年長崎県入庁[2]。県通商貿易課勤務を経て、香港バンコクで貿易促進駐在員を務めた[2]。その後長崎県議会事務局長、労働部長、企画部長を歴任し[2]1989年長崎空港ビルディング常務取締役に就任。同社専務取締役を経て、1993年島原鉄道社長に就いた[3]

島原鉄道は当時、1991年を中心に起きた雲仙普賢岳の噴火災害により、島原外港駅深江駅間が不通となっていた。これを受けて、水無川流域の高架化などを含む再建計画を示した[4]。中でも総工費30億円といわれる「安新大橋」の建設に尽力し、国などからの補助金を受けて完成させ、1997年に全線運転再開を果たした[1]。同年10月には第三セクター会社「みずなし本陣」の設立に伴い、同社の社長に就任[5]。火山学習施設を併設した道の駅「みずなし本陣ふかえ」(現・道の駅ひまわり)を1996年4月に開業させた[1]1997年には島原観光汽船が運航を休止していた島原-大牟田三池)航路を再開させ、観光客の誘致に努めた[6]1999年6月に社長退任[1]2002年勲四等瑞宝章受章[7]

略歴

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著書

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  • 『よみがえる南蛮貿易:創作・被爆記・随想』 太郎舎、1982年。

脚注

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  1. ^ a b c d 「「気力、体力に衰え」 新社長人事内定 松尾・島鉄社長会見」 『朝日新聞』1999年6月1日付朝刊、長崎面。
  2. ^ a b c 社団法人長崎青年協会会報”. 社団法人長崎青年協会. 2016年6月29日閲覧。
  3. ^ 『サンケイデータブック99人物編 産業・経済人』 産経新聞メディックス、1999年。
  4. ^ 「島原鉄道、水無川流域を高架化 不通区間を復旧へ」 『朝日新聞』1993年9月14日付夕刊、第2面。
  5. ^ 「第3セクター設立総会 深江町に計画の「道の駅」核施設」 『朝日新聞』1997年10月12日付朝刊、長崎面。
  6. ^ 「11日の再開控え、利用呼びかけ 島原―三池航路」 『朝日新聞』1997年8月6日付朝刊、福岡面。
  7. ^ 「地道な功績に光 春の叙勲、県内から68人」 『朝日新聞』2002年4月29日付朝刊、長崎面。