村井貞亨
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村井 貞亨 むらい さだなり | |
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生誕 |
1887年8月10日 山形県 鶴岡市 |
死没 |
? ? |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1910年 – ? |
最終階級 | 海軍機関大佐 |
指揮 | 八雲 (装甲巡洋艦)機関長 |
除隊後 | 松尾螺子製作所技師長 |
村井 貞亨(むらい さだなり)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍機関大佐。栄典は正五位・勲三等瑞宝章。
経歴
[編集]- 1887年[1]8月10日 - 山形県鶴岡市[1]に村井貞慶の二男として誕生。
- 1910年11月 - 海軍機関学校(19期)卒業、機関少尉候補生 任官。
- 横須賀鎮守府艦船部部員兼副官[2]
- 「八雲」機関長
- 磐手機関長 兼任
- 横須賀鎮守府付
- 1932年 - 海軍機関大佐 任官、予備役編入
- 除隊後は松尾螺子製作所に技師長[1]として勤務。
栄典
[編集]- 位階
- 1912年(明治45年)2月10日 - 正八位[3]
- 1914年(大正3年)1月30日 - 従七位[4]
- 1916年(大正5年)12月28日 - 正七位[5]
- 1922年(大正11年)2月10日 - 従六位[6]
- 1927年(昭和2年)3月1日 - 正六位[7]
- 1932年(昭和7年)
- 勲章
- 1915年(大正4年)
- 1920年(大正9年)10月25日 - 勲五等瑞宝章[12]
- 1928年(昭和3年)8月29日 - 勲三等瑞宝章[13]
- 1934年(昭和9年)4月29日 - 昭和六年乃至九年事変従軍記章[14]
- 1940年(昭和15年)11月10日 - 紀元二千六百年祝典記念章[15]
家族・親族
[編集]- 父親 村井貞慶 - 庄内藩士、第3代加茂町町長
- 兄 村井貞固 - 植物学者
- 長弟 村井貞敏 - 海軍大佐
- 次弟 村井貞寛 - 医学博士
- 甥 村井貞允 - 地質学者
- 甥 村井貞彰 - 農学者
- 甥 村井貞克 - 植物研究家
- 大甥 村井貞規 - 工学者
出典
[編集]- ^ a b c 『大衆人事録 東京篇』「村井貞亨」
- ^ 永久2項 海軍機関大佐長尾秀二外40名補職の件(アジア歴史資料センター Ref.C04021781600「公文備考 B 人事5 巻5」防衛省防衛研究所)
- ^ 『官報』第8591号「叙任及辞令」1912年2月12日。
- ^ 『官報』第451号「叙任及辞令」1914年1月31日。
- ^ 『官報』第1324号「叙任及辞令」1916年12月29日。
- ^ 『官報』第2857号「叙任及辞令」1922年2月13日。
- ^ 『官報』第58号「叙任及辞令」1927年3月12日。
- ^ 『官報』第1566号「叙任及辞令」1932年3月23日。
- ^ 『官報』第1639号「叙任及辞令」1932年6月18日。
- ^ 『官報』第1096号付録「叙任及辞令」1916年3月30日。
- ^ 『官報』第1411号・付録「辞令」1917年4月18日。
- ^ 『官報』第2471号「叙任及辞令」1920年10月26日。
- ^ 『官報』第506号「叙任及辞令」1928年9月1日。
- ^ 『官報』第2603号付録「叙任及辞令二」1935年9月4日。
- ^ 『官報』第4692号・付録「辞令二」1942年8月29日。
参考資料
[編集]- 『大正人名辞典』 日本図書センター
- 『大衆人事録 東京篇』(第13版) 1939年
- 『庄内文化芸術名鑑』 長南寿一(著) 1982年