コンテンツにスキップ

李源長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

李 源長(イ・ウォンジャン、朝鮮語: 이원장1924年12月10日 - 1999年10月20日)は、大韓民国陸軍軍人陸軍少将)、政治家実業家第6歩兵師団長、第4・7代韓国国会議員を歴任した[1]本貫龍仁李氏朝鮮語版[2]

経歴

[編集]

日本統治時代の忠清南道保寧郡(現・保寧市)出身。官立全州師範学校(現・全州教育大学校)卒。植民地時代に志願兵として日本軍に入隊。

1946年6月15日、警備士官学校第1期を卒業して任少尉[3]

朝鮮戦争開戦時は第16連隊(連隊長:文容彩大領)副連隊長[4]

1953年7月、陸軍大学第3期卒業。優等生であったことから卒業式では李承晩大統領から賞状を授与された[5]

1954年5月、任准将[6]

第1軍団参謀長、第15師団副師団長、連合参謀本部朝鮮語版第2部長、陸軍本部監察監・人事局長、第6歩兵師団長を歴任。

1958年2月24日、陸軍少将として予備役に編入[3]。政界入りした後は自由党に所属し、1958年の第4代総選挙で当選後は自由党中央常務委員兼政策委員を務めた。5・16軍事クーデター以後は大韓興業株式会社副社長を務めた。1967年の第7代総選挙では民主共和党の候補として舒川郡・保寧郡選挙区から536票差の勝利で当選したが、その後の当選無効を求める訴訟における再検票で新民党金玉仙に13票差で敗れたため、1年後の判決により議員資格を失い[7]、党からも除名された。また、1967年には大韓塩業株式会社副社長、十五倶楽部代表幹事を務めた[1][8]

1999年10月20日、ソウル中央病院(現・ソウル峨山病院)で死去。享年74[9]

賞勲

[編集]

乙支勲章忠武勲章、大統領表彰、金星忠武勲章金星花郎勲章、大統領賞状[1]

エピソード

[編集]

27歳で将軍となり、30代で国会議員になったという幸運の持ち主である[1][8]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年11月21日閲覧。
  2. ^ 父子 정승, MB 입사때 시험관 이춘림” (朝鮮語). 디트NEWS24 (2010年4月9日). 2024年11月21日閲覧。
  3. ^ a b 정안기 2020, p. 378.
  4. ^ *6·25戦争史 第2巻-北韓의 全面南侵과 初期防禦戰鬪” (PDF) (韓国語). 韓国国防部軍史編纂研究所. p. 300. 2024年12月10日閲覧。
  5. ^ “陸大 卒業式 盛大” (朝鮮語). 부산일보. (1953年7月13日). https://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19530413000029 2024年12月10日閲覧。 
  6. ^ “長官級 27名 昇進” (朝鮮語). 부산일보. (1954年5月30日). https://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19540530000029 2024年12月10日閲覧。 
  7. ^ 金玉仙(김옥선)씨 當選確定(당선확정)”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1968年6月3日). 2024年11月21日閲覧。
  8. ^ a b 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年11月21日閲覧。
  9. ^ 4,7대국회의원 李源長(이원장)씨 별세”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1999年10月22日). 2024年11月21日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 정안기 (2020). 충성과 반역 : 대한민국 創軍・建國과 護國의 주역 일본군 육군특별지원병. 조갑제닷컴. ISBN 979-11-85701-69-1