木付親重
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時代 | 鎌倉時代 |
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生誕 | 嘉禄元年(1225年) |
死没 | 弘安8年2月18日(1285年3月25日)[1] |
別名 | 六郎 |
官位 | 肥前守、検非違使別当、大炊介[2] |
幕府 | 鎌倉幕府 |
氏族 | 大友氏→木付氏 |
父母 | 父:大友親秀、母:佐原家連娘 |
兄弟 | 大友頼泰、戸次重秀、野津原能泰、狭間直重、野津頼宗、木付親重、田北親泰、大友親盛 |
子 | 能重 |
木付 親重(きつき ちかしげ)は、鎌倉時代の武将。木付氏初代当主。豊後国竹ノ尾城主。
大友親秀の六男。建長元年(1249年)に将軍・藤原頼嗣に謁見し従五位に叙せられる。鴨川に居を構え、木田村台山城を築城した[3]。弘長から文永年間の間に竹ノ尾城を築き居城を移した。
弘安4年(1281年)の弘安の役の際には博多に出陣し、敵船5隻を拿捕する武勲を立てる。弘安8年(1285年)、竹ノ尾城にて死去。