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木下昌雄

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木下 昌雄(きのした まさお、1914年7月3日 - 1995年7月19日)は、日本の経営者工学博士日立造船社長を務めた。大阪府出身[1]。運動生理学者・木下東作の次男。兄は動物生理学者の木下治雄。妻・敦子は東京都知事日本赤十字社社長を務めた東龍太郎の長女[2]

経歴

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1937年東京帝国大学工学部船舶工学科を卒業[1]。海軍造船大尉を経て、1940年に東京帝国大学工学部助教授に就任し、1946年鉄道技術研究所での勤務を経て、1949年日立造船に入社[1]1964年11月に取締役に就任し、1967年11月に常務を経て、1973年11月に副社長に就任し、1979年6月に社長に昇格[1]1983年6月に相談役に就任[1]

1976年藍綬褒章を受章し、1986年4月に勲二等旭日重光章を受章[1]

1995年7月19日肝不全のため死去[3]。81歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d e f 人事興信所 1991, き19、き20頁.
  2. ^ 『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年、き18頁。
  3. ^ 日本経済新聞 1995年7月20日朝刊、p39

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第36版 上』人事興信所、1991年。 
先代
永田敬生
日立造船社長
第12代:1979年 - 1983年
次代
村山利雄