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望月玉三

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望月 玉三(もちづき たまぞう、1913年大正2年)10月3日[1] - 1998年平成10年)6月24日[1])は、日本実業家。東京電業建設、望月証券(現みずほ証券)、九曜社各社長。慶應義塾大学助教授[2]

人物

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東京都出身。九曜社社長望月軍四郎の三男[3][4]、九曜社取締役望月太郎の弟。父・軍四郎は静岡県富士郡大宮町(現富士宮市)出身。

1936年慶應義塾大学経済学部卒業[3][5]、同助手を経て、助教授を務めた[2][3][4]

住所は東京港区赤坂青山南町[2]。趣味は読書、[3]庭球[4]。宗教は仏教[3]日蓮宗[4]

家族・親族

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望月家

脚注

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  1. ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1239頁。
  2. ^ a b c 『人事興信録 第11版 下』モ9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月9日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第15版 下』モ2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月9日閲覧。
  4. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 下』モ8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月9日閲覧。
  5. ^ 『慶応義塾塾員名簿 昭和17年版』568頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月9日閲覧。

参考文献

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  • 慶応義塾編『慶応義塾塾員名簿 昭和17年版』慶応義塾、1924-1942年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937-1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。