コンテンツにスキップ

望月太郎 (実業家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

望月 太郎(もちづき たろう、1908年明治41年)2月[1] - 1941年昭和16年)3月18日[2])は、日本実業家。東邦採鉱常務取締役[1]。九曜社取締役[1][3]

人物

[編集]

東京府・望月軍四郎の長男[1][3]望月玉三の兄。1930年慶應義塾大学経済学部卒業[1]横浜正金銀行員として神戸支店に勤務し、また欧米各国を視察歴遊した[1][3]

趣味は読書、スポーツ[1][3]。宗教は仏教[1][3]。住所は東京市渋谷区常磐松町[1]、赤坂区青山南町[3]。東京府在籍[1][3]

家族・親族

[編集]
望月家

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第12版 下』モ8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月8日閲覧。
  2. ^ 「望月太郎氏」『朝日新聞』1941年3月21日、2面。
  3. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第11版 下』モ10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月8日閲覧。
  4. ^ a b 『人事興信録 第14版 下』モ7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月8日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937-1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。