服部誠 (陸上選手)
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選手情報 | ||||
ラテン文字 | Makoto Hattori | |||
国籍 |
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競技 | 陸上競技 | |||
種目 | 長距離走 | |||
大学 | 東京農業大学農学部 | |||
生年月日 | 1952年9月9日(72歳) | |||
出身地 |
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服部 誠(はっとり まこと、1952年9月9日 - )は、日本の元陸上競技選手。神奈川県横浜市出身。東京農業大学農学部卒業。同大学の教員を経て、現在は服部牧場のオーナーを務める。
経歴
[編集]高校時代
[編集]全国高等学校総合体育大会、国民体育大会の5000mで優勝。全国高校駅伝では1区で区間賞を獲得し、初優勝に貢献した[1][2]。
大学時代
[編集]多数の強豪校からスカウトの声がかかったが、実家の牧場を継ぐために東京農業大学に進学。東京農業大学は箱根駅伝から遠ざかっていたが1年時の予選会を突破し、7年ぶりの本戦出場を決めた。第48回箱根駅伝では2区を走り、1時間15分58秒で区間4位だった。2年時の箱根駅伝予選会はトップで通過し、2年連続で本戦出場を決めた。第49回箱根駅伝では2区を最後の1kmで足が痙攣し、歩いてしまったが区間2位のタイムで走った。東農大チームは8位に入り、11年ぶりにシード権を獲得した。3年ぶりの出場となった全日本大学駅伝では最長区間の4区を走り、区間賞を獲得した。3年時の第50回箱根駅伝では3年連続で2区を担当した。1区の岩瀬哲治は故障の影響で本調子ではなく区間13位にとどまったが、10000mの自己ベストに迫るタイムで10kmを通過するハイペースで序盤から突っ込み、箱根駅伝史上初の12人抜きで一気に首位に躍り出た[3][4][5]。このごぼう抜き最多記録は第79回箱根駅伝で中川拓郎が15人抜きを達成するまで破られなかった。3区の山本吉光も区間賞を獲得する活躍もあり、大学史上初の往路優勝を達成[6]。これは2025年現在で唯一の往路優勝である。約1ヶ月後の別府大分毎日マラソンで初マラソン日本最高記録となる2時間13分40秒を記録し、アジア大会の10000mでは銅メダルを獲得した。4年時の第51回箱根駅伝では4年連続となる2区を走り、1時間13分21秒の区間新記録を樹立した[7]。全日本大学駅伝では4区を走り、2年ぶりに区間賞を獲得した。
大学卒業後
[編集]東農大の教員として残り、 モントリオール五輪のマラソン日本代表を目指した。しかし、選考レースとなったびわ湖毎日マラソンでは2時間37分53秒の65位で代表入りを逃した。レース後大学に辞表を提出し、陸上競技を引退した。
戦績・記録
[編集]大学三大駅伝戦績
[編集]学年 | 箱根駅伝 | 全日本大学駅伝 |
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1年生 (1971年度) |
第48回 2区-区間4位 1時間15分58秒 |
第3回 不出場 |
2年生 (1972年度) |
第49回 2区-区間2位 1時間17分50秒 |
第4回 4区-区間賞 1時間14分06秒 |
3年生 (1973年度) |
第50回 2区-区間賞 1時間13分41秒 |
第5回 4区-区間2位 1時間11分07秒 |
4年生 (1974年度) |
第51回 2区-区間賞 1時間13分21秒 区間新記録 |
第6回 4区-区間賞 1時間12分49秒 |
関連項目
[編集]参考文献
[編集]脚注
[編集]- ^ “男子第21回大会記事”. 全国高校駅伝. 2025年2月27日閲覧。
- ^ “東農大レジェンドOB・服部誠さん、後継候補の前田和摩へ「カッ飛ぶ走りはいいね!」”. スポーツ報知 (2023年7月28日). 2025年2月27日閲覧。
- ^ “2区伝説のゴボウ抜き 服部誠さん”. 日本テレビ (2023年10月8日). 2025年2月27日閲覧。
- ^ “黒塗りベントレーや白のハマーを乗り回す…50年前の箱根駅伝"伝説のランナー"が牧場経営で大成功できたワケ”. PRESIDENT Online (2023年12月27日). 2025年2月27日閲覧。
- ^ “日大が6年ぶり総合V/ 写真で見る第50回箱根駅伝”. 日刊スポーツ (2020年11月18日). 2025年2月27日閲覧。
- ^ “東京農業大をどん底から救った牧場の息子…家業継ぐため進学、箱根路初の12人ごぼう抜き”. 讀賣新聞オンライン (2023年4月27日). 2025年2月27日閲覧。
- ^ “過去の記録|東京箱根間往復大学駅伝競走公式サイト”. 箱根駅伝. 2025年2月27日閲覧。