普遍係数定理(ふへんけいすうていり、英: universal coefficient theorems)とは、単項イデアル整域R上定義されたホモロジーやコホモロジーから、R-加群を係数とするホモロジーやコホモロジーを求める一連の定理の総称である。
定理はR-加群として自由な任意のチェイン複体に対して成立し、したがって特に特異ホモロジー・コホモロジーのような位相幾何学的な背景を持つホモロジー・コホモロジーに対して成立する。
本節では普遍係数定理を述べる準備として、チェイン複体とそのホモロジー、コチェイン複体とそのコホモロジーを復習し、さらに普遍係数定理を定式化するのに必要な概念であるTor関手、Ext関手を定義する。
Rを可換環とするとき、整数nを添え字として持つR-加群
と写像
の組
で、

となるものR上のチェイン複体といい[1]、

を
のn次のホモロジー加群という[1]。
可換環Rに対し、
で
がR上のチェイン複体になるものをコチェイン複体といい[2]、

を
のn次のコホモロジー加群という[2]。
Rを単項イデアル整域とし、M、NをR-加群とする。さらに短完全系列

でA、Bが自由R-加群であるものを選び[注 1]、

を考えると必ずしも完全系列にならない[注 2]。そこで

と定義する[4]。
の定義はA、Bの取り方に依存しているが、実はA、Bを別のものに取り替えて定義した
と自然に同型になる事が知られているのでwell-definedである[4]。
の事をTor関手という。
なお、Rが単項イデアル整域とは限らない一般の環の場合にもTorが定義できるが本項では割愛する。また
の事を
と表記し、より一般に
(n≧0)を定義する場合もあるが、これも本項では割愛する。これらに関する詳細はTor関手の項目を参照されたい。
Tor関手は以下の性質を満たす。
命題 ―
Rを単項イデアル整域、M、NをR-加群とするとき、次が成立する:
。[5]
。ここで「
」はR-加群としての直和を表す[6]。
- Mが自由R-加群なら

。[7]
、ここでgcd(x,y)はxとyの最大公約元である。
- Kを標数0の体とするとき、任意の有限生成R-加群Mに対し、

証明
1., 2.の証明は出典を参照。3.に関してはMが自由R-加群であれば、

という分解が可能なので、
である。
4.に関してはx倍する演算を「
」と書くと、

という分解が可能であり、
なので、

である。よって
である。
5.に関しては4.から直接従う。6.に関しては、Mが有限生成なので、有限生成加群の基本定理より、RnとR/(xi)の直和で書ける。よって1.により、
は
と
の直和で書けるが、前者は3.より0に等しく、後者も4.により0に等しい。
Rが単項イデアル整域であるので、M、Nが有限生成である場合、有限生成加群の基本定理から、MはRnと複数のR/(xi)の直和で書け、Nも同様である。上述の1., 2.からTorRは直和に関して分解できるので、上述の3., 5.を使うと、これらに対するTorRを容易に計算できる。
Torのときと同様、Rを単項イデアル整域とし、M、NをR-加群とし、さらに短完全系列

でA、Bが自由R-加群であるものを選ぶ[注 1]。そして

を考えると必ずしも完全系列にはならない[注 3]。そこで

と定義する[9]。ここでCokerは余核である。すなわち、
に対し、
である。
の定義はA、Bの取り方に依存しているが、実はA、Bを別のものに取り替えて定義した
と自然に同型になる事が知られているのでwell-definedである[9]。
の事をExt関手という。
また
に関しても
と同様、Rが一般の環の場合に対しても定義できるし、
が定義できて
であるが、本項では説明を割愛する。詳細はExt関手の項目を参照されたい。
Ext関手は以下を満たす:
命題 ―
Rを単項イデアル整域、M、NをR-加群とするとき、次が成立する:
。ここで「
」はR-加群としての直和である[10]。
。ここで「
」はR-加群としての直積である[10]。
- Mが自由R-加群なら

。[7]
、ここでgcd(x,y)はxとyの最大公約元である。
- Kを標数0の体とするとき、任意の有限生成R-加群Mに対し、

証明
1.、2.に関しては出典を参照。3.に関してはMが自由R-加群であれば、

という分解が可能なので、
である。
4.に関しては、x倍する演算を「
」と書くと、

という分解が可能であり、

である。
ここで
に対し、
である。
しかも
は
の行き先により全ての
の行き先が決まるので、
である。よって

である。
5.は4.から直接従う。6.に関しては、Mが有限生成なので、有限生成加群の基本定理より、RnとR/(xi)の直和で書ける。よって1.により、
は
と
の直和で書けるが、前者は3.より0に等しく、後者も4.により0に等しい。
TorRの場合と同様、Mが有限生成R-加群であれば、これらの性質からExtRを具体的に計算できる。
次の定理が成立することが知られている:
定理 (Torに関する普遍係数定理) ―
Rを単項イデアル整域とし、MをR-加群とし、さらに
をR上のチェイン複体で、各nに対し
がR-加群として自由なものとする。このとき

が短完全系列となるα、βが存在する[11]。
しかもこの短完全系列は
およびMに関して自然である。さらにこの短完全系列は(自然ではなく)分裂する[11]。
上記の定理でαは
と具体的に書ける[11]。
なお、係数環 Rが
でMが
の場合は、上記の定理はボックシュタイン・スペクトル系列(英語版)の特別な場合に相当する。
で各
が有限生成加群である場合はホモロジーをより具体的に書ける。有限生成加群の基本的定理より、
は自由加群部分Fnと素数pに対する
の和で書ける。(有限個の素数pを除いて
である)。ここで前述したTorの性質を利用すると、以下がわかる:
命題 ― 上記の設定のもと:

チェイン複体とコチェイン複体は添字の向きが違うだけなので、コチェイン複体に関しても同様の事実が従う:
定理 ―
R、Mを上述の定理と同様に取り、
を任意のコチェイン複体とすると、

が短完全系列となるα、βが存在する[12]。
この短完全系列が
、Mに関して自然である事や分裂する事も前述の定理と同様である。
また
で各
が有限生成加群である場合は、ホモロジー場合と同様の形で具体的に書ける。
M係数のホモロジー・コホモロジーに対する普遍係数定理
[編集]
上述のコチェイン複体関する普遍係数定理をMを係数に持つコホモロジー(例えばMを係数にもつ特異コホモロジー)に適用する場合は注意が必要である。
これまで同様Rが単項イデアル整域とし、MをR-加群する。R上のチェイン複体
に対し、

と定義すると

であるので
はコチェイン複体である。
をMに関する
の双対コチェイン複体(英: dual cochain complex)という[12]。
Mに係数を持つホモロジー加群の方はその定義により、


なので、前述のホモロジーに関する普遍係数定理の
、
を単純に置き換える事で、以下の系が従う:
系 ―
R、Mを前述の定理と同様に取り、
を任意のチェイン複体とすると、

が短完全系列となるα、βが存在する。
一方、Mを係数を持つコホモロジー加群の場合は若干の注意が必要である。実際、
としてやると、

であるが、
の方は

であり、コホモロジーの普遍係数定理における

とは異なるので単純に置き換える事ができない。しかし適切な条件下ではこれら2つが等しくなり、Mを係数に持つコホモロジー加群の普遍係数定理を示す事ができる:
Ext関手を使う事で、ホモロジーとコホモロジーの関係性を示す以下の普遍係数定理を示す事ができる。
前に述べたように、チェイン複体
の双対コチェイン複体
に対し、Mを係数に持つコホモロジー加群を
により定義する。
このとき以下の定理がしたがう:
上述の定理においてαは
に対し、
という
の元を対応させる写像である[15]。
で各
が有限生成加群である場合はコホモロジーをより具体的に書ける。有限生成加群の基本的定理より、
は自由加群部分Fnと捩れ部分群部分
の和で書ける。この事実とExtの性質を利用すると、以下がわかる:
命題 ― 上記の設定のもと以下が成立する[16]:

上記により
-係数コホモロジーさえ分かってしまえば、後はTorに関する普遍係数定理により他の係数のコホモロジーも求まる。
が有限生成であれば、上述の普遍係数定理でホモロジーとコホモロジーの役割を反転させた定理も成立する:
上述の定理において、αは
に対し、
という
の元を対応させる写像である[17]。
- ^ a b 具体的にはMのR上の生成元
を選び、
有限個の
を除いて
とし、
を
とし、Bをこの写像のカーネルとすればよい。定義から明らかにAはR上自由である。またRは単項イデアル整域なので、自由加群Aの部分加群であるBも自由である。
- ^ 最初の0を除いた
は完全系列である[3]。
- ^ 最後の0を除いた
は完全系列である。[8]
その他