折り鶴放火事件
折り鶴放火事件(おりづるほうかじけん)は、大阪府東大阪市に住む関西学院大学の男子学生が2003年(平成15年)8月1日、広島県広島市中区の広島平和記念公園内にある「原爆の子の像」に捧げられていた約14万羽の折り鶴に放火した事件[1][2]。
概要
[編集]2003年(平成15年)8月1日、「原爆の子の像」周辺に保管されていた折り鶴が燃えているのを通行人が発見、通報。広島県警察広島中央警察署の捜査により、防犯カメラに映っていた関西学院大学の4年生男子が器物損壊容疑で逮捕され、一緒にいた友人2人も口頭で厳重注意を受けた[3]。大学側は会見で陳謝した[4]。
犯人の男子学生は同日早朝から友人と広島市周辺を旅行中であった[4]。大学で留年し、就職できずむしゃくしゃしていたことが事件の動機であったという[4]。
2003年(平成15年)8月2日、関西学院大学学長が広島市を訪れ、原爆の子の像前で秋葉忠利市長らに謝罪した[5]。
2003年(平成15年)8月6日、事件を知った同大学の在校生や卒業生、教職員によって折られた折り鶴91,000羽を大学関係者が持参し、謝罪した[6]。
その後、男子学生は釈放され[7]、広島簡裁から罰金30万円の略式命令、その他に現場施設の復旧費350万円を請求されるが、深く反省しているとして退学を免れた[8][9][10]。
なお、折り鶴が焼失した他に折り鶴台も焼損したため、復旧工事を9月16日から開始した。強化ガラス13枚を取り換えたほか、焦げた支柱を塗装し直した[11][12]。修理費用の約340万円は、放火した関西学院大生の母親が負担した[13]。
2003年(平成15年)9月22日朝、折り鶴台の復旧工事が完了し、広島平和記念公園を訪れた人が今まで通り折り鶴を供えられるように開放した [11][14]。
脚注
[編集]- ^ 「720人が平和学学ぶ/関学大、折り鶴放火で講座」『四国新聞社』2004年7月21日。オリジナルの2024年10月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “「原爆の子の像」の折り鶴焼かれる 監視カメラに3人組”. 朝日新聞. (2003年8月1日) 2003年8月1日閲覧。
- ^ 『読売新聞』2003年8月2日 全国版 大阪朝刊 2社26頁「平和記念公園の折り鶴放火 関学大生を逮捕 学長きょう現地謝罪/広島」(読売新聞大阪本社)
- ^ a b c “折り鶴放火の大学生逮捕 14万羽焼失”. 中国新聞. (2003年8月2日) 2003年8月3日閲覧。
- ^ 『読売新聞』2003年8月2日 全国版 大阪夕刊 夕社会13頁「広島・折り鶴の学生放火 関学大学長が謝罪 原爆の子の像前で」(読売新聞大阪本社)
- ^ 『読売新聞』2003年8月6日 全国版 東京夕刊 夕2社18頁「「原爆の子の像」せめてものおわびに・・・ 関学大生ら折り鶴9万羽」(読売新聞東京本社)
- ^ 『読売新聞』2003年8月19日 全国版 大阪朝刊 2社34頁「折り鶴放火事件 関学大生を処分保留で釈放/広島地検」(読売新聞大阪本社)
- ^ 『読売新聞』2003年9月3日 全国版 大阪朝刊 2社30頁「折り鶴ケースの修復費請求 広島市が放火の関学大生に350万円」(読売新聞大阪本社)
- ^ 『読売新聞』2003年9月11日 全国版 大阪朝刊 2社34頁「平和記念公園の折り鶴放火事件 関西学院大生に罰金30万円/広島簡裁」(読売新聞大阪本社)
- ^ 『読売新聞』2003年9月17日 全国版 大阪朝刊 2社38頁「広島・平和記念公園の折り鶴放火 関学大生を無期停学」(読売新聞大阪本社)
- ^ a b 「燃やされた折り鶴台が復旧/広島市中区の平和公園で」『四国新聞社』2003年9月22日。オリジナルの2024年10月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ 『読売新聞』2003年9月17日 広島 大阪朝刊 広島31頁「放火事件で焼損、折り鶴陳列ケース 広島市が修復始める=広島」(読売新聞大阪本社)
- ^ 『読売新聞』2003年9月5日 全国版 大阪朝刊 2社38頁「折り鶴放火事件 関学生の母、修復費340万円振り込む/広島」(読売新聞大阪本社)
- ^ 『読売新聞』2003年9月23日 広島 大阪朝刊 広島29頁「平和記念公園の折り鶴ケース修復終了=広島」(読売新聞大阪本社)