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思粛王后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
思粛王后
高麗王后
在位 1083年 - 1094年

別称 匡粛貞和思粛(諡号)
出生 不詳
羅州
死去 不詳
配偶者 宣宗
子女 献宗
氏族 仁川李氏
父親 李碩
母親 開城王氏
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思粛王后 李氏(ししゅくおうこう りし、朝鮮語: 사숙왕후 이씨)は、高麗13代の王である宣宗の第1王妃で、第14代献宗の生母。諡号は匡粛貞和思粛太后。本貫は仁川李氏

人物

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宣宗が王子として國原公であった頃に王太子妃となり、1083年に宣宗が即位すると、第1王妃となった。1094年に献宗が即位すると王太后となり、幼帝に代わって摂政を務めたが、これにより王権が弱体化し、従兄弟にあたる李資義の反乱が勃発、1095年、献宗の叔父である鷄林公が肅宗として即位し、王太后の座を追われた。

家族

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  • 祖父:李子淵
  • 伯父:李頲(李子淵の長男)
    • 従兄弟:李資義
  • 叔父:李顥(李子淵の六男)
  • 父:李碩(李子淵の三男。生没年不明)
  • 母:開城王氏(生没年不明)
  • 兄:李資智(生没年不明)
  • 夫:宣宗(1049年 - 1094年)
    • 長男:献宗(1084年 - 1097年)
    • 長女:遂安宅主(1088年 - 1128年)

参考文献

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  • 高麗使節要 第7巻
  • 「アジア人物史 4」 集英社 2023年