弘川寺
表示
弘川寺 | |
---|---|
本堂 | |
所在地 | 大阪府南河内郡河南町弘川43 |
位置 | 北緯34度28分28.19秒 東経135度39分10.58秒 / 北緯34.4744972度 東経135.6529389度 |
山号 | 竜池山 |
宗派 | 真言宗醍醐派 |
寺格 | 準別格本山 |
本尊 | 薬師如来 |
創建年 | 伝・天智天皇4年(665年) |
開山 | 伝・役小角 |
中興年 | 弘仁3年(812年) |
中興 | 空海 |
札所等 |
西国薬師四十九霊場第13番 河内飛鳥古寺霊場第13番 役行者霊蹟札所 河内飛鳥七福神(大黒天) |
文化財 |
正親町天皇宸翰古歌御懐紙(重要美術品) 木造空寂上人坐像、木造弘法大師坐像、木造扁額(府指定文化財) 弘川寺境内(府指定史跡) |
法人番号 | 1120105004783 |
弘川寺(ひろかわでら)は、大阪府南河内郡河南町弘川にある真言宗醍醐派の準別格本山の寺院。山号は竜池山。本尊は薬師如来。大阪府指定記念物(史跡)[1]、大阪みどりの百選に選定されている[2]。西行法師終焉の地である。
歴史
[編集]天智天皇4年(665年)、役小角によって創建されたと伝えられ、天武天皇5年(676年)にはこの寺で祈雨法が修せられて天武天皇から山寺号が与えられたという。
平安時代の弘仁3年(812年)空海によって中興され、文治4年(1188年)には空寂が後鳥羽天皇の病気平癒を祈願し、天皇は回復した。その功によって奥の院として善成寺を建て寺号の勅額を賜わった。
翌、文治5年(1189年)には空寂を慕って西行法師がこの寺を訪れ、この地で没している。
寛正4年(1463年)、河内守護畠山政長が当寺に本陣を置いて畠山義就が立て籠もる嶽山城を攻めたところ(嶽山城の戦い)、逆に本陣である当寺を攻撃されて善成寺もろとも伽藍は焼失した。その後復興し、江戸時代に入り寛延年間(1747年 - 1750年)歌僧似雲がこの寺を訪れ、西行堂を建立している。
境内
[編集]文化財
[編集]重要美術品
[編集]- 正親町天皇宸翰古歌御懐紙
大阪府指定有形文化財
[編集]- 木造空寂上人坐像
- 木造弘法大師坐像
- 木造扁額
大阪府指定史跡
[編集]- 弘川寺境内
大阪府指定天然記念物
[編集]- 弘川寺の海棠 - 樹齢350年。