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康賢洙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
康賢洙
강현수
生年月日 1917年
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮平安南道
没年月日 2000年9月17日
出身校 金日成総合大学
朝鮮労働党中央党学校
所属政党 朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党
称号 金日成勲章
親族 金日成
姜徳秀

当選回数 5回
在任期間 1967年11月22日 - 1972年12月
1977年11月 - 2000年9月17日
最高指導者 金日成1948年 - 1994年
金正日(1994年 - 2011年

朝鮮労働党の旗 平壌直轄市党委員会責任書記
在任期間 1991年12月 - 2000年9月17日
総書記
総書記
金日成1966年 - 1994年
金正日1997年 - 2011年

在任期間 1990年5月24日 - 1998年9月5日
委員長 金日成1972年 - 1994年

朝鮮労働党の旗 黄海北道党委員会責任書記兼人民委員長
在任期間 1989年4月24日 - 1991年12月
総書記 金日成1966年 - 1994年

朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党中央委員会検閲委員会第1副委員長
在任期間 1982年6月 - 不明
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康賢洙
各種表記
チョソングル 강현수
発音 カン・ヒョンス
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康 賢洙(カン・ヒョンス、朝鮮語: 강현수1917年 - 2000年9月17日)は、朝鮮民主主義人民共和国軍人政治家平壌直轄市党委員会責任書記、中央人民委員会委員、黄海北道党委員会責任書記兼人民委員長などを歴任した。朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は少将。北朝鮮の初代最高指導者を務めた金日成は母方のいとこで[1]人民武力部革命史跡館館長などを歴任した姜徳秀は弟。朝鮮人民軍総参謀部作戦局教導指導副局長を務めた息子の康雲竜は、1992年金正日によって粛清された[2]

経歴

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1917年日本統治下平安南道で生まれた[1]金日成総合大学朝鮮労働党中央党学校を卒業し、ソ連に留学[1]1952年朝鮮人民軍第7師団政治師団長[1]1955年に第3軍団政治部長を経て[1]1958年朝鮮人民軍総政治局組織部長に任命された[1]。人民軍少将に昇進し、1964年に朝鮮人民軍総政治局副総局長に任命され[1]1967年民族保衛省対敵政治工作局長に転じた[1]1968年には最高人民会議第4期代議員に選出され、第6期から第10期まで在任した[1]

1982年朝鮮労働党中央委員会検閲委員会第1副委員長に選出され[1]、党官僚に転じる。1989年4月24日黄海北道党委員会責任書記兼人民委員長に任命され[1]1990年5月24日に開催された最高人民会議第9期第1回会議で中央人民委員会委員に選出された[1]1991年平壌直轄市党委員会責任書記に任命された[1]1992年金日成勲章を受章[1]

2000年9月17日に死去[1]。しばらくの間、平壌市党委員会責任書記は空位となる。

脚注

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 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
先代
崔文善
平壌直轄市党委員会責任書記
1991年 - 2000年
次代
2009年まで空席
崔永林
先代
崔文善
黄海北道党委員会責任書記兼人民委員長
1989年 - 1991年
次代
崔文善