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広尾駅 (北海道)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
広尾駅
廃駅後にバス待合所として用いられていた駅舎(2007年8月)
ひろお
Hiroo
新生 (4.9 km)
所在地 北海道広尾郡広尾町丸山通り北2丁目
北緯42度17分45.9秒 東経143度18分34.6秒 / 北緯42.296083度 東経143.309611度 / 42.296083; 143.309611座標: 北緯42度17分45.9秒 東経143度18分34.6秒 / 北緯42.296083度 東経143.309611度 / 42.296083; 143.309611
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 広尾線
キロ程 84.0 km(帯広起点)
電報略号 ヒオ←ヒヲ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線(側線あり)
乗降人員
-統計年度-
234人/日
-1981年(昭和56年)-
開業年月日 1932年昭和7年)11月5日[1]
廃止年月日 1987年昭和62年)2月2日[1]
備考 広尾線廃線に伴い廃駅
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1977年の広尾駅と周囲約500 m範囲。右が帯広方面。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
広尾駅跡地の現状(2021年6月)

広尾駅(ひろおえき)は、北海道十勝支庁広尾郡広尾町丸山通り北2丁目にかつて存在した、日本国有鉄道(国鉄)広尾線廃駅)である。電報略号ヒオ事務管理コードは▲111516[2]

歴史

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広尾線の終端駅であり[3]、計画では当駅より襟裳岬経由で日高本線の終着駅であった様似駅まで延伸される予定だった。

一時期は最長片道切符の起終点だった。宮脇俊三の著書『最長片道切符の旅』では、始発駅として登場した。

駅名の由来

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所在地名(村名→町名)より[4]

駅構造

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廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の南東側(帯広方面に向かって右手側)に存在した。旅客列車の発着に使用する駅舎側の1番線(上下本線)の北側に、ホームを有さない2-4番線を有した[7]。4番線からは北側に水槽及び転車台を有し(転車台は1983年(昭和58年)時点で現存していた[3])、終端部分が車庫2線となっていた側線が分岐していた。1-4番線は南西側で収束し、その延長上は入換線となっていた。さらにその途中から分岐する積卸線と、木材線を1線ずつ有した[7]。また、1番線のホーム端部分から駅舎側に戻る形で分岐し駅舎南東側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1本有していた[7]

職員配置駅で、駅舎は構内の南側に位置しホーム中央部分に接していた[3][7]。駅舎は1977年(昭和52年)に開業時からの駅舎から改築された[8]、船底形の鉄骨ヘーベンライト仕上げでモダンな構造の建物であった[8]「わたしの旅スタンプ」が設置されていた[3]

駅跡

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廃駅後は広尾町が駅舎の払い下げを受け、1987年(昭和62年)7月に「広尾町鉄道記念館」としてリニューアルされた[9]。旧駅舎内には展示スペースが設置され、当時使用していた閉塞器、通標、保線用具、備品、時刻表駅スタンプ、写真パネル、沿線模型などが保存・展示されていた[9]。駅スタンプは、さよなら列車運転記念のスタンプが10種類設置されていた[10]。改札柵や、旧ホーム側に転轍てこや駅の銘板も残存していた[10]。一方、レールは撤去され、駐車場になった[10]

駅構内跡地は「鉄道記念公園」として整備され、一角にはC11形蒸気機関車C11 176号機の動輪が保存・展示されている[11]。またパークゴルフの施設が作られている。

廃止直後は駅舎裏に、キハ22形気動車キハ22 134や旧形客車緩急車貨車などが保存されていたが、状態悪化に伴い解体・撤去されている。

廃駅後の駅舎は、十勝バスジェイ・アール北海道バスが乗り入れるバスターミナルとなった。出札窓口は十勝バス広尾案内所となり、廃止転換バスである同社広尾線の硬券乗車券も販売されていた。ジェイ・アール北海道バスの停留所は、日勝線は「広尾」、都市間バスは「広尾駅」を名乗っている。以前はJR北海道日高本線との連絡運輸も行っていたことから、いわゆる自動車駅として存続しているが、ジェイ・アール北海道バスの乗車券は取り扱っていない。国鉄時代に廃止され、旧駅舎がバス待合所として活用されている例は、北海道内では2009年(平成21年)時点で当駅と北檜山駅の2例のみであった。

その後、築40年を経過し雨漏りなどの老朽化が進んだこと、今後の維持費用が高額になることから、駅舎を解体して新たな待合所を設置することが決定[12]。2018年(平成30年)6月に着工、同年12月ごろに新待合所が完成した。広尾線に関する展示品などは町立海洋博物館内の郷土文化保存伝習館へ移された[12]

利用状況

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1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は234人[3]

駅周辺

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バス路線

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隣の駅

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日本国有鉄道
広尾線
新生駅 - 広尾駅

脚注

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  1. ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、891頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、236頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  3. ^ a b c d e f g h i 『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』小学館、1983年7月、140ページ。
  4. ^ a b 内閣印刷局, ed (1932-10-28). “鉄道省告示 第429号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (1750). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958221. 
  5. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、143頁。ASIN B000J9RBUY 
  6. ^ 内閣印刷局, ed (1932-10-28). “鉄道省告示 第429号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (1750). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958221. 
  7. ^ a b c d 三宅俊彦『廃線終着駅を訊ねる 国鉄・JR編』JTBパブリッシング、2010年4月、32-33ページ。
  8. ^ a b c 『終着駅 国鉄全132』雄鶏社、1980年10月、40-41ページ。
  9. ^ a b 白川淳(監修)『全国保存鉄道III 東日本編』JTBパブリッシング、1998年11月、68ページ。
  10. ^ a b c 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、192-193ページ。
  11. ^ 『鉄道廃線跡を歩くVI』JTBパブリッシング、1999年3月、40-41ページ。
  12. ^ a b “旧国鉄駅の鉄道記念館解体へ 広尾”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (2018年2月25日). http://kachimai.jp/article/index.php?no=420426 2021年5月23日閲覧。 

関連項目

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