平佐蕉雨
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平佐 蕉雨(ひらさ しょうう、1829年11月2日〈文政12年10月6日〉 - 1922年〈大正11年〉12月21日[1])は、明治期から大正期にかけての華族。位階・爵位は従五位男爵。陸軍中将で華族である平佐良蔵の父である。
経歴
[編集]1829年11月2日(文政2年10月6日)、大森儀右衛門の次男として長門国(現在の山口県)にて生まれる[2]。
1912年(明治45年)7月5日、長男・良蔵が死去し、同11月11日に男爵を襲爵する[3]。しかし、1914年(大正3年)1月10日に孫で養子の嘉彦に家督と爵位を譲る[4]。
1918年(大正7年)1月11日には数え年90歳を迎えたことから、恩賜として銀杯と酒肴料を賜った[5]。
栄典
[編集]家族
[編集]脚注
[編集]関連項目
[編集]日本の爵位 | ||
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先代 平佐良蔵 |
男爵 平佐(良蔵)家2代 1912年 - 1914年 |
次代 平佐嘉彦 |