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幕開く日本万国博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
幕開く日本万国博
ジャンル 特別番組
出演者 黛敏郎
淀川長治
玉井孝
島津貴子
兼高かおる
藤村志保
中村メイコ
今井通子
中山千夏
佐藤愛子
渥美清
石坂浩二
金田正一
森進一
桂三枝(現:六代桂文枝
笑福亭仁鶴
佐良直美
ピンキーとキラーズ
製作
制作 日本民間放送連盟
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1970年3月14日
放送時間10:30 - 13:30
放送分180分

特記事項:
日本万国博覧会開会式中継番組
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幕開く日本万国博』(まくひらくにっぽんばんこくはく)は1970年3月14日の10:30(JST)から3時間にわたって生放送された日本万国博覧会開会式中継番組である。この番組は民放テレビが放送を開始して以来初めて日本民間放送連盟(民放連)に加盟する全テレビ局が同時に放送した[1]

当時の民放連加盟78社が共同制作したが、実際の制作は当時の在阪民放テレビ4社[注釈 1]毎日放送朝日放送関西テレビ読売テレビ)の共同プロジェクトが担当し[2]、これに名古屋の東海テレビ中部日本放送名古屋放送[注釈 2]と、岡山の山陽放送[注釈 3]が制作に加わった[3][4]

放送1か月前の2月14日に全国民放877運用局による同時間生中継プランを公表[5][注釈 4]。当日は読売テレビスタジオと会場各所に約1000人[5]の著名人を配し現場リポートを敢行。カメラ37台、ヘリコプター1機、カラー中継車9台、制作スタッフ約500人という大規模な番組であった。読売テレビがテーマ館と中華民国館、朝日放送がお祭り広場、関西テレビがエキスポランド・タワー、毎日放送が人工湖畔、名古屋放送が金曜広場、東海テレビがカナダ館、山陽放送がソ連館に中継車を派遣した[4][7]

番組内容

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4部構成で放送され、第1部は開催地である千里丘陵の紹介、万国博覧会の歴史と意義、各国からのメッセージを伝えた。第2部は開会式の模様を中継。第3部は女性レポーターによる各国パビリオンの紹介、第4部は日本や世界の「お祭り」を紹介した[1]

出演者

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その他

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  • この番組は現在、横浜市の放送ライブラリーで視聴可能である(全編で166分)。
  • 提供会社のコマーシャルは逐次番組内で字幕放送された。
  • 万博の閉会式が行われた9月13日にも再び当番組と同様の形式で制作した『さよなら日本万国博』が9:30 - 10:56(JST)に民放80社で同時放送された[8][9]

脚注

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注釈

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  1. ^ 当時テレビ大阪は未開局で、毎日放送がNETテレビ(現:テレビ朝日)および東京12チャンネル(現:テレビ東京)の、朝日放送が東京放送(現:TBSテレビ)の系列局であった。
  2. ^ 当時は日本テレビおよびNETテレビの系列局であった。
  3. ^ 当時は香川県との放送エリア統合前であった。
  4. ^ 参考に1969年時点の民放テレビの運用局数は累計で71社866局あり、翌年は10社216局の増加となった[6]
  5. ^ 出演予定であった神津カンナが風邪により降板したため、代わって母の中村メイコが出演。
  6. ^ 2013年放送の読売テレビ『かんさい情報ネットten.』YTV開局55周年記念スペシャルにおいて、かつて文枝が自動車館からの中継をしたシーンが流れた。

出典

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  1. ^ a b 日本民間放送連盟(編)『日本放送年鑑'70』岩崎放送出版社、1970年、78頁。 
  2. ^ 読売テレビ50年社史編纂委員会 編纂『読売テレビ50年社史』2009年、91頁。 
  3. ^ 東海テレビ放送/編集『東海テレビ放送開局50年史 つたえるつなぐ』2009年、74頁。 
  4. ^ a b c 日本万国博覧会記念協会「報道・広報 報道 放送番組の制作協力」『日本万国博覧会公式記録 第3巻』1972年、79頁。 
  5. ^ a b 『マスコミ市民』36号、日本マスコミ市民会議、1970年4月、62頁。NDLJP:3463607/33 
  6. ^ 日本民間放送連盟 編『民間放送三十年史』日本民間放送連盟、1981年9月、406頁。NDLJP:12275562/219 
  7. ^ 日本民間放送連盟(編)『日本放送年鑑'70』岩崎放送出版社、1970年、411頁。 
  8. ^ 日本民間放送連盟(編)『日本放送年鑑'71』岩崎放送出版社、1971年、90頁。 
  9. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、436頁。 

外部リンク

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