常陸北条駅
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常陸北条駅 | |
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駅跡(2009年3月) | |
ひたちほうじょう HITACHIHŌJYŌ | |
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所在地 | 茨城県筑波郡筑波町北条 |
所属事業者 | 筑波鉄道 |
所属路線 | 筑波線 |
キロ程 | 15.7 km(土浦起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
乗降人員 -統計年度- |
1,963人/日 -1978年度[1]- |
開業年月日 | 1918年(大正7年)4月17日[2] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)4月1日[3] |
常陸北条駅(ひたちほうじょうえき)は、茨城県筑波郡筑波町(現・つくば市)北条にあった、筑波鉄道筑波線の駅(廃駅)。筑波線廃止に伴い1987年(昭和62年)に廃止された。
歴史
[編集]- 1918年(大正7年)4月17日:筑波鉄道 (初代)の駅として開業[2]。
- 1945年(昭和20年)3月20日:会社合併に伴い、常総筑波鉄道筑波線の駅となる。
- 1965年(昭和40年)6月1日:会社合併に伴い、関東鉄道の駅となる[4]。
- 1979年(昭和54年)4月1日:事業譲渡に伴い、筑波鉄道の駅となる[4]。
- 1981年(昭和56年)8月12日:貨物営業廃止(これ以前から既に貨車は到着・発送されない状態だった)[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:廃止[3]。
駅構造
[編集]2面3線のホームを持つ地上駅で、終日駅員が配置されていた。なお、駅本屋の駅名標は「常陸北条駅」ではなく「常陸北條駅」となっていた。また、その下に併記されていた英字についても、北條が「HOJO」ではなく「HOJYO」となっていた[1]。
利用状況
[編集]1978年度の1日平均乗降人員は1,963人で、筑波線では土浦駅に次いで利用者が多かった。
駅周辺
[編集]駅周辺は筑波町の中心地・北条市街にある。駅は国道125号の北側で、北条の集落の南側の縁に接していた。
当項では、廃止前日にあった周辺施設を記す。
- 筑波町役場(現在のつくば市役所筑波庁舎)
- 筑波郵便局
- 筑波町国保病院(現在のつくば市立病院)
- 筑波中央病院
- 茨城県立筑波高等学校
現状
[編集]- 駅舎は廃止後に撤去され、2021年現在はホームのみが残っている。
- 駅跡から約400メートル離れた県道138号上に、関東鉄道の「北条駅入口」バス停留所(土浦駅 - 筑波山口線・下妻駅 - 土浦駅線)があり、名残の一つとなっている。また、同一地点に筑波地区支線型バス(つくばね号)の「旧北条駅入口」停留所も設置されている。
- 廃線後2019年8月9日まで、駅跡から北西に約2キロメートル離れた茨城県道14号筑西つくば線沿いに「常陸北条」バス停留所が存在した。これは当路線の代替を強く意識して一時期存在した高速バス「ニューつくばね号」の当駅対応停車地として改称されたもので、一般路線バスのみとなっても停留所名として残っていた。現在は「杉木」に改称されている。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 寺田裕一「第3章 施設・駅」『筑波鉄道 : 三度の社名変更を経たローカル私鉄』 下(初版)、カルチュア・エンタテインメント〈RM LIBRARY〉、2021年10月1日、7頁。
- ^ a b 『軽便鉄道運輸開始. 官報 1918年4月27日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』 21号 関東鉄道・真岡鐵道・首都圏新都市鉄道・流鉄、曽根悟 監修、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2011年8月7日、9-11頁。
- ^ a b 『鉄道ジャーナル』 21巻、6号、鉄道ジャーナル社、1987年5月、111頁。