川村貞四郎
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川村 貞四郎(かわむら ていしろう、1890年(明治23年)7月23日 - 1987年(昭和62年)6月18日[1])は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選山形県知事、東洋インキ製造 (株) 社長。旧姓・古橋。
経歴
[編集]愛知県北設楽郡出身[2]。大地主・古橋源六郎の三男として生まれ、川村秀豊の養子となる。愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)、日本中学校を経て、第一高等学校を卒業。1914年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1915年(大正4年)5月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年6月、内務省に入省し警視庁警部兼内務属となる[1]。
1917年(大正6年)9月、本所太平警察署長に就任。以後、防疫官兼内務書記官・衛生局勤務、内務事務官・警保局保安課勤務、欧米出張(1924年1月)、警視庁書記官・衛生部長、山形県書記官・内務部長、青森県書記官・内務部長などを歴任。1930年(昭和5年)6月に休職となる[1]。
1931年(昭和6年)12月、山形県知事に就任[3]。約半年の在任で1932年(昭和7年)6月28日に休職となり[4]、1933年(昭和7年)6月に退官した[1]。
1938年(昭和13年)6月、東洋インキ製造 (株) 社長に就任し、1941年(昭和16年)8月まで在任。1943年(昭和18年)12月から1948年(昭和23年)まで大東醸造社長を務めた[1]。
1946年(昭和21年)3月、財団法人古橋会理事長に就任[1]。
栄典
[編集]著作
[編集]- 『ムッソリニとファシスト運動』良書普及会、1925年。
- 『官界の表裏』川村貞四郎、1933年。
- 『浪朗の釣鐘』松華堂書店、1933年。
- 『我が半生』古橋会、1987年。
- 有光金兵衛共著『治安警察法論』良書普及会、1923年。
- 星野武雄共著『高等警察法論 前編』警眼社、1927年。
- 星野武雄共著『高等警察法論 2』警眼社、1929年。
- 星野武雄共著『高等警察法論 3』警眼社、1929年。
- 佐伯数美共著『英国労働党の政策及現勢』日本評論社、1928年。
伝記
[編集]- 川村貞四郎記、古橋茂人編『三河男児・川村貞四郎 1』雄山閣出版、1997年。
- 川村貞四郎記、古橋茂人編『三河男児・川村貞四郎 2』雄山閣出版、1999年。
- 川村貞四郎記、古橋茂人編『三河男児・川村貞四郎 3』雄山閣、2003年。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
- 日外アソシエーツ編『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』日外アソシエーツ、1988年。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
関連項目
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