嵯峨野昇
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県茅ヶ崎市 |
生年月日 | 1942年3月29日 |
没年月日 | 2010年1月31日(67歳没) |
身長 体重 |
177 cm 73 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1965年 ドラフト3位 |
初出場 | 1967年 |
最終出場 | 1967年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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嵯峨野 昇(さがの のぼる、1942年3月29日 - 2010年1月31日[1])は、神奈川県[2]出身のプロ野球選手(内野手)。
来歴・人物
[編集]鎌倉学園高校では1959年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、法政二高に敗れる。卒業後は國學院大學へ進学。東都大学野球リーグでは、二部に低迷していた國學院大を1963年春季リーグから一部に復帰させる。
大学卒業後に日立製作所へ入社。1965年の第20回選抜社会人野球東京大会では、日立製作所の初優勝に貢献。四番打者、三塁手として19打数11安打、打点9、打率.579で最高殊勲選手賞、首位打者賞の二つを独占。同年の都市対抗では簾内政雄(日本鉱業日立から補強)らの好投もあり準々決勝に進出するが、住友金属に敗退[3]。
1965年のプロ野球ドラフト会議で東京オリオンズから3位指名を受け入団[2]。
1967年に1試合出場したのみで、1968年限りで現役を引退した[2]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1967 | 東京 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
通算:1年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
背番号
[編集]- 10 (1966年 - 1968年)
脚注
[編集]- ^ “OB NEWS Vol.45” (PDF). 公益社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ) (2010年3月). 2015年7月5日閲覧。
- ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、243ページ
- ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 嵯峨野昇 - NPB.jp 日本野球機構