島川慎一
表示
(東京体育館 2019年10月20日撮影) | |||||||||||||||||||||
個人情報 | |||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||
生誕 | 1975年1月29日(49歳) 熊本県玉名郡 | ||||||||||||||||||||
スポーツ | |||||||||||||||||||||
競技 | 車いすラグビー | ||||||||||||||||||||
障害クラス | 3.0 | ||||||||||||||||||||
|
島川 慎一(しまかわ しんいち、1975年1月29日 – )は、日本の車いすラグビー選手。バークレイズ証券株式会社所属。パラリンピックには2004年大会から連続出場し、2016年大会・2020年大会には銅メダル、2024年大会で金メダルを獲得した。
経歴
[編集]21歳の時に交通事故により頸髄を損傷し車いすの生活となる。
1999年夏、車いすラグビーを観戦したことがきっかけで競技を開始する。
2004年アテネパラリンピックに、日本代表および自身としても初出場、8位。
2005年に”BLITZ”を創設。現在まで日本選手権大会で8度の優勝を成し遂げている。同時に2005-2006 シーズンより USQRA(アメリカ国内リーグ)で、Phoenix Heatの一員としてプレーを始める[4]。
2005-2006シーズンのUSQRA DivisionI Nationals(全米選手権)で初優勝、そして外国人選手としては初めてとなるUSQRA athlete of the Year(年間最優秀選手賞)を受賞。その後、アメリカ国内リーグに計4シーズン参加し、内2シーズンは全米優勝を果たす[4]。
2008年北京パラリンピックに出場、7位となる。
2012年ロンドンパラリンピックに出場、初めて準決勝に進出し、4位。
2016年リオデジャネイロパラリンピックに出場、銅メダルを獲得。同年、彩の国スポーツ功労賞を受賞[5]。
2021年、東京2020パラオリンピック競技大会日本代表選手に選ばれて[6]、東京大会でも銅メダル獲得[7]。
2024年、パリパラリンピックに出場し、全戦全勝で日本初の金メダルを獲得[8][9][10]。同年、紫綬褒章受章[11]。
脚注
[編集]- ^ A, TEAM. “島川 慎一|パリパラリンピック・車いすラグビー金メダリスト|パラサポWEB”. パラサポWEB. 2024年9月3日閲覧。
- ^ “島川 慎一 選手(車いすラグビー)”. www.city.tokorozawa.saitama.jp. 2024年9月3日閲覧。
- ^ “49歳の今がベスト! 車いすラグビー島川慎一「俺が世界最強」 競技歴25年いばらの道を歩み、得たスタイル:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2024年9月3日閲覧。
- ^ a b “車いすラグビー界のレジェンド島川慎一。48歳でも「今がベスト」とコーチも絶賛、チームメイトは「この人が味方でよかった」|パラスポ+! | PARA SPO PLUS”. paraspoplus.com. 2024年9月3日閲覧。
- ^ “内村、桐生ら8人を埼玉県が表彰”. スポニチアネックス. (2016年11月30日) 2016年11月30日閲覧。
- ^ 東京2020パラリンピック競技大会日本代表推薦選手について JWRF 一般社団法人 日本車いすラグビー連盟 . 日本車いすラグビー連盟(2021年6月21日). 2021年6月25日閲覧。
- ^ 【東京パラリンピック】「日本ラグビー」で2大会連続銅メダル! 池主将のリーダーシップと仲間たち . ラグビー共和国(2021年8月30日). 2021年8月30日閲覧。
- ^ “【パリパラリンピック】車いすラグビー日本代表が悲願の金メダル! - ラグビーリパブリック” (2024年9月2日). 2024年9月3日閲覧。
- ^ 日本放送協会 (2024年9月3日). “パラリンピック 車いすラグビー 日本が初の金メダル【詳しく】 | NHK”. NHKニュース. 2024年9月2日閲覧。
- ^ “車いすラグビー、日本が悲願の金メダル…池透暢主将「最高の喜びがここにありました」”. 読売新聞オンライン (2024年9月3日). 2024年9月2日閲覧。
- ^ 『官報』号外259号、令和6年11月5日