岩波三郎
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岩波 三郎 いわなみ さぶろう | |
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生年月日 | 1922年1月28日 |
没年月日 | 2013年6月4日(91歳没) |
出身校 | 日本大学専門部法律科 |
前職 | 練馬区教育長 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1987年 - 2003年 |
岩波 三郎(いわなみ さぶろう[1]、1922年(大正11年)1月28日[2] - 2013年(平成25年)6月4日[2])は、日本の政治家。東京都練馬区長(4期)、練馬区教育長を歴任した。
来歴・人物
[編集]練馬区出身[1]。1939年から東京市板橋区役所練馬派出所に勤務[1]。在職中に[1]日本大学専門部法律科卒業[1][3]。1947年に板橋区からの分区で練馬区が成立し、練馬区役所勤務となる[1]。練馬区学務課長(1960年-1965年)[3]、庶務課長(1965年-1966年)[3]、納税課長(1966年-1968年)[3]、財務課長(1968年-1971年)[3]、予算課長(1971年)[3]、区民部長(1971年-1973年)[3]などを務めた。庶務課長時代の1964年、学校給食センターにまつわる汚職事件で、東龍太郎都知事から懲戒処分を受けた[4]。1973年に区教育長に就任[1][3]。
1986年秋、練馬区長の田畑健介が健康上の理由で翌年の区長選不出馬を表明。同年12月、岩波は自由民主党・公明党・民社党の推薦を受けて立候補する意向を表明[4]。
1987年1月、井田恵子と篠原一を代表者とする「女性区長をつくる練馬区民の会」が結成され、同グループは日本婦人有権者同盟会長の本尾良に白羽の矢を立てた。本尾は断り続けていたが、2万人の出馬要請の署名を前にして決断。2月3日に会長職を辞任し、同月5日に出馬表明した[4]。
同年4月26日に行われた区長選挙は岩波と、社会党・共産党・社民連の推薦を得た本尾の一騎打ちとなり、岩波が本尾を下し初当選した[5]。2003年まで区長を4期務めた。
業績
[編集]練馬区長を4期16年にわたり務めた[7]。練馬区の広報等は彼の業績について、次のように言及している。
- 「練馬格差」の解消[6]
- 医療基盤の整備[6][7]
- 順天堂大学医学部附属練馬病院の誘致の実現[6][7]
- 練馬春日町駅西地区の再開発事業の推進[6]
- 石神井公園駅北口地区の再開発事業の推進[7]
- 市民農園の創設[6][7]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g 日経産業消費研究所(編)「東京・区長に聞く 第7回 岩波三郎練馬区長」『日経地域情報』第176号、日経産業消費研究所、日経出版販売、1993年7月19日、28-29頁。
- ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、139頁。
- ^ a b c d e f g h “エイトライナー実現に全力”. 自治タイムス (1996年8月). 2014年3月11日閲覧。
- ^ a b c 『月刊婦人展望』1987年6月号、財団法人市川房枝記念会出版部、6頁。
- ^ “練馬区・区長選 (東京都)”. 政治データのブログ (2019年7月27日). 2023年10月12日閲覧。
- ^ a b c d e f “練馬区名誉区民の顕彰”. 練馬区 (2008年11月5日). 2014年3月11日閲覧。 アーカイブ 2017年11月16日 - ウェイバックマシン
- ^ a b c d e “練馬区名誉区民 前練馬区長 岩波三郎氏逝去” (pdf). ねりま区報 (練馬区): p. 1. (2013年6月21日) 2014年3月11日閲覧。 アーカイブ 2014年3月11日 - ウェイバックマシン