岡部行隆
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岡部行隆肖像(泉光寺所蔵) | |
時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 元和3年(1617年) |
死没 | 貞享4年12月25日(1688年1月27日) |
改名 | 龍千代(幼名)、行隆 |
別名 | 帯刀(通称)、紹慶(号) |
戒名 | 仁叟紹慶寂乗院 |
墓所 | 大阪府岸和田市門前町の泉光寺 |
官位 | 従五位下内膳正、従四位下 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱→綱吉 |
藩 | 和泉岸和田藩主 |
氏族 | 岡部氏 |
父母 | 父:岡部宣勝、母:桑山元晴の娘 |
兄弟 | 行隆、高成、豊明、直好、正敦、成俊、松平康映正室、朽木稙昌正室、水野忠雅室 |
妻 | 正室:堀直寄の娘 |
子 |
長泰、有馬清純正室 養子:堀直宥正室、町野幸重正室 |
岡部 行隆(おかべ ゆきたか)は、和泉国岸和田藩の第2代藩主。岸和田藩岡部家3代。守成の名君と称されている。
略歴
[編集]元和3年(1617年)、初代藩主・岡部宣勝の長男として江戸に生まれる。寛文元年(1661年)10月27日、父の隠居により跡を継ぐ。この時、5000石を弟の高成、2000石を豊明にそれぞれ分与したため、岸和田藩は6万石から5万3000石となった。貞享3年(1686年)8月25日、長男の長泰に家督を譲って隠居し、貞享4年(1687年)12月25日に71歳で岸和田にて死去した。
系譜
[編集]参考文献
[編集]- 『新訂寛政重修諸家譜14』