岡田康彦
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岡田 康彦(おかだ やすひこ、1943年6月1日 - )は、日本の大蔵・環境官僚、弁護士。環境事務次官などを歴任した。
来歴
[編集]愛知県宝飯郡出身[1][2]。愛知県立時習館高等学校[2]、東京大学法学部卒業。大学在学中に国家公務員上級試験で1位を取り(長野庬士と同点)、司法試験にも合格する[3]。1966年に大蔵省に入省する。配属先は大臣官房財務参事官付。同期には長野のほか、武藤敏郎(東京五輪・パラリン競技大会組織委員会事務総長、日銀副総裁、初代財務事務次官、主計局長)、中島義雄(Kエナジー代表取締役、財政金融研究所長、主計局次長)、佐藤謙(世界平和研究所理事長、防衛事務次官)、中山成彬(国土交通大臣、文部科学大臣、初代経済産業副大臣)、中山恭子(拉致問題担当大臣、首相補佐官〈北朝鮮による拉致問題担当〉)らがいる。1971年7月 八戸税務署長、1981年7月 熊本県企画開発部長、1983年6月 日本専売公社総務部主計課長を務める。1991年6月17日に横浜税関長に就任した際は「関税局で学んだ理論を実践で生かしたい」と会見で語っていた[4]。1996年7月から環境庁へ幹部職で出向、環境庁官房長となる。1998年1月に企画調整局長。1999年7月27日に環境事務次官に就任。2001年1月5日に退官。同年2月1日 住宅金融公庫副総裁。2012年1月に弁護士登録し、北浜法律事務所に入所する。
略歴
[編集]- 1966年4月 大蔵省に入省。配属先は大臣官房財務参事官付。
- 1967年6月 名古屋国税局調査査察部。
- 1968年7月 大臣官房調査企画課。
- 1969年4月 証券局企業財務第一課企画係長[5]。
- 1971年7月 八戸税務署長。
- 1972年2月 防衛庁経理局会計課。
- 1974年7月 主計局総務課長補佐(企画担当)[6]。
- 1976年7月 主計局主計官補佐(郵政、電電係主査)。
- 1977年7月 主計局主計官補佐(地方財政第一、第二係、補助金係主査)。
- 1978年7月 主計局法規課長補佐。
- 1981年7月 熊本県企画開発部長。
- 1983年6月 日本専売公社総務部主計課長。
- 1985年6月 主計局主計企画官(調整担当)[7]。
- 1986年6月 主計局主計官(防衛予算担当)。
- 1988年6月 主計局法規課長。
- 1989年6月 関税局企画課長。
- 1990年6月 関税局総務課長。
- 1991年6月 横浜税関長。
- 1993年7月 大臣官房金融検査部長。
- 1994年7月 東京国税局長。
- 1995年5月 証券取引等監視委員会事務局長。
- 1996年7月 環境庁官房長。
- 1998年1月 環境庁企画調整局長。
- 1999年7月 環境事務次官。
- 2001年1月 退官。
脚注
[編集]- ^ ダイオキシン対策 4年以内に排出量を9割削減 ー関係閣僚会議で対策推進基本指針を策定ー 1999年6月インタビュー記事
- ^ a b 『日本の官庁,その人と組織:大藏省,経済企画庁』政策時報社、1991年発行、137頁
- ^ 東京五輪トップも黒田バズーカも... 優秀すぎる財務官僚たち Smart FLASH 2018年7月6日 社会・政治
- ^ 『横浜税関長に岡田氏が着任 神奈川』朝日新聞 1991年6月18日発行、朝刊、神奈川
- ^ 『職員録 昭和46年版 上巻』大蔵省印刷局、1970年発行、476頁
- ^ 『日本の官庁』国土政策研究会、1976年発行、148頁
- ^ 『職員録 昭和61年版 上巻』大蔵省印刷局、1985年発行、504頁
その他の役職 | ||
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先代 伊藤博行 |
住宅金融公庫副総裁 2001年 - 2003年 |
次代 森昭治 |
官職 | ||
先代 田中健次 |
環境事務次官 1999年 - 2001年 |
次代 太田義武 |
先代 鏡味徳房 |
東京国税局長 1994年 - 1995年 |
次代 森昭治 |
先代 井坂武彦 |
大蔵省大臣官房金融検査部長 1993年 - 1994年 |
次代 山本孝之 |
先代 近藤健彦 |
横浜税関長 1991年 - 1992年 |
次代 鈴木三也 |
先代 金野俊美 |
熊本県企画開発部長 1981年 - 1983年 |
次代 田谷廣明 |