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岡本伝之助

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岡本伝之助

岡本 伝之助岡本 傳之助[1][2][3]、おかもと でんのすけ[3]1896年明治29年〉11月17日[4] - 1982年昭和57年〉1月15日[5][6])は、日本政治家実業家、神奈川県多額納税者[7][8][9][10]衆議院議員(神奈川県第二区選出)[3]横須賀名誉市長[8][9]さいか屋会長[6]。横須賀商工会議所顧問[8][9]

経歴

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神奈川県出身[5]。岡本傳兵衛の長男[1][8][9]神奈川県立横須賀中学校で学び[5]中退した[2]1905年家督を相続し父業の呉服商を継ぎ、後百貨店さいか屋を設立し、社長となる[4][8][9]

さいか屋、さいか屋商事、相模運輸、神奈川県繊維製品配給統制各社長、小美屋、神中鉄道、興電社各取締役、日本百貨店組合理事、横須賀方面繊維製品小売商業組合理事長[9]、相模運輸監査役[8]、同常務取締役[10]、横須賀商工会議所会頭、同顧問などを務めた[5]

1941年2月13日、横須賀名誉市長に就任[11]。軍部と協調し、海軍を中心とした施策を推進し、浦賀町北下浦村長井町武山村大楠町逗子町の編入を実現した[11]1942年4月の第21回衆議院議員総選挙翼賛政治体制協議会の推薦を受け神奈川県第二区から出馬のため同月6日に名誉市長を退任[11]

衆議院議員に当選後、同年5月6日、再び名誉市長に就任したが、衆議院議員の業務多忙のため、1943年4月17日に名誉市長を退任した[11]。戦後、公職追放となった[12]1965年、さいか屋会長、1975年、サイカマート会長となった[6]

人物

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趣味は読書[8][9][10]。宗教は曹洞宗[1][8][9][10]。住所は神奈川県横須賀市深田町[8][9][10]

家族・親族

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岡本家

著作

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  • 岡田良平編『岡本伝之助随想録』さいか屋、1984年。

脚注

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  1. ^ a b c d 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』神奈川32頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年10月20日閲覧。
  2. ^ a b 『翼賛選挙大観』68頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月19日閲覧。
  3. ^ a b c 『議会制度七十年史 第11』117頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年10月20日閲覧。
  4. ^ a b 『日本人名大辞典』411頁。
  5. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』151頁。
  6. ^ a b c 岡本 伝之助とはコトバンク。2018年11月12日閲覧。
  7. ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』附録 全国多額納税者 神奈川県13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年10月20日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第13版 上』オ229頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月15日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第14版 上』オ227頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年11月12日閲覧。
  10. ^ a b c d e f 『人事興信録 第11版 上』オ297頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月20日閲覧。
  11. ^ a b c d 『日本の歴代市長』第1巻、1059頁。
  12. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、473頁。NDLJP:1276156 

参考文献

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  • 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937-1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 『翼賛選挙大観』朝日新聞社、1942年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。