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岡崎俊夫

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岡崎 俊夫
人物情報
生誕 (1909-02-01) 1909年2月1日
日本の旗 日本 青森県南津軽郡
死没 1959年5月26日(1959-05-26)(50歳没)
日本の旗 日本 神奈川県鎌倉市
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 中国文学
研究機関 朝日新聞社
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岡崎 俊夫(おかざき としお、1909年2月1日 - 1959年5月26日)は、日本の中国文学者、翻訳家

経歴

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戦前

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1909年、青森県南津軽郡黄檗宗法眼寺で生まれた。父親が僧籍にあり、また教育上の都合から幼少期は山口県福岡県と小学校を転々とした。父親が東京府東京市芝区白金(現在の東京都港区白金)の瑞聖寺住職になったのを機に、芝区の小学校に転校。浦和高校に入学し、在学中に文学活動を始める。1928年に小説「髑髏」を浦高学友会雑誌に発表した。また、同校在学時に武田泰淳萩原文彦らと知り合っている[1]

1930年、東京帝国大学文学部支那哲学科に入学。哲学を学びたいと考えていたものの、教授内容は漢学であり、落胆した。在学中の1932年、胡也頻の「同棲」を翻訳し、同人雑誌『集団』に発表。1933年、東京帝国大学を卒業した。

卒業後は記者となり、時事新報に入社。横浜の裁判所詰め記者として活動した。しかし、1934年3月に同社代表の武藤山治が不慮の死を遂げたのを機に退社。その後は、東亜高等予備校に就職[2]。同時代の中国文学作品に親しんでいた岡崎であったが、中国語を学ぶために本郷にあった第一外語の夜学に通い、奥平定世らから学んだ。1934年8月、周作人が来日した際に歓迎会を催したのを機に、岡崎俊夫、武田泰淳、竹内好の3人を中心に「中国文学研究会」が発足[3][4]

1936年6月、朝日新聞社に入社し、名古屋支社の整理部校閲課に配属。1940年、高橋俊江と結婚。1942年7月、北京支局に転勤とを命じられる。その北京滞在中の体験を基にして随筆「北京行状記」が執筆される。1944年1月、本国への帰社を命じられたため、妻子を朝鮮京城にあった妹の婚家先に預けて一足先に帰国し、出版部編集局配属として大阪、東京と移った。同年11月に東京に家族を呼び寄せ、杉並高円寺に居住した。1945年春に世田谷区大原町に移転したが、その直後の5月25日の空襲で焼け出された。

戦後

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戦後、朝日新聞社出版局図書編集部次長となった。社の要職を務めると同時に、精力的に中国近代文学の翻訳を行い、最新の中国における文学の動向を日本に紹介した。また、東京大学文化学院で講師を務めたり、講演活動も精力的に行った。

1959年5月26日、心臓麻痺のため神奈川県鎌倉市腰越の自宅で死去[5]

著作

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編著

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  • 『天上人間』(岡崎俊夫文集刊行会) 1961[6]
  • 『現代中国の作家たち』(竹内好, 岡崎俊夫編、和光社、現代選書) 1954

翻訳

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  • 『母親 ほか3篇』(丁玲改造社、大陸文学叢書5) 1938
  • 『黒猫』(郭沫若、伊藤書店、支那現代文学叢刊 第2輯) 1939
  • 『西康西蔵踏査記』(劉曼卿松枝茂夫共訳、改造社) 1939、のち新版(慧文社、近代チベット史叢書) 2015
    • 改訳版『女性大使チベットを行く』(陳舜臣編・解説、白水社、中国辺境歴史の旅) 1986
  • 『沈倫 ほか7篇』(郁達夫、東成社、現代支那文学全集2) 1940
  • 『老残遊記』(劉鉄雲、生活社、中国文学叢書) 1941、のち新編(平凡社東洋文庫
  • 『わが夢 わが青春』(郁達夫、寳雲社、中国文芸叢書) 1947
  • 『霞村にいた時』(丁玲、四季社) 1951、のち新編(岩波文庫) 1976
  • 『中国小説選』(筑摩書房、中学生全集) 1952
  • 『引力』(李広田、岩波新書) 1952
  • 『寒夜』(巴金嶌静子共訳、筑摩書房) 1952
  • 『文学と生活』(丁玲、青銅社、青銅選書) 1952
  • 『亡命十年』(郭沫若、筑摩書房) 1953
  • 『憩園』(巴金、岩波新書) 1953
  • 『現代中国文学全集』第9巻(河出書房) 1955
丁玲「太陽は桑乾河にかがやく」「新しい信念」「霞村にいた時」「夜」を担当

参考資料

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  • 『文藝年鑑』

脚注

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  1. ^ 志半ばで逝った近代中国文学者・岡崎俊夫
  2. ^ 東亜高等予備校は中国の留学生が、旧制高校に入学するために松本亀次郎が日中友好の一環として創立した予備校。
  3. ^ 3人とも浦和高校の卒業生で、武田泰淳と竹内好が同級、岡崎俊夫が一学年上であった。
  4. ^ 「「中国文学研究会」のこと」
  5. ^ 『出版年鑑 1960年版』(出版ニュース社、1960年)p.148
  6. ^ 岡崎俊夫の三回忌にあたる1961年に出された文集。これまで雑誌や新聞に寄稿した随筆と評論に加えて、旧友・中国文学者・教え子らによる追悼文からなる。