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山田渉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山田 渉
個人情報
フルネーム山田 渉
国籍日本の旗 日本
生誕 (1966-12-10) 1966年12月10日(58歳)
スポーツ
競技男子 ボクシング
家族 山田茂(弟)
山田夏冴(次女)
親戚 勅使河原弘晶(娘婿)

山田 渉(やまだ わたる、1966年昭和41年)12月10日 - )は、日本の元ボクサー陸上自衛官駿台学園高校、拓殖大学卒業。

経歴・人物

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駿台学園高校在学中、都立農業高校で1学年下だった高橋直人(後の高橋ナオト)に2戦2勝だった。

高校卒業後はプロになるつもりだったが、監督に大学進学を勧められ、拓殖大学在学中に、2年後輩の瀬川設男とともに1988年ソウルオリンピック日本代表に選ばれ、フェザー級に出場し、2回戦敗退した[1][2]

全日本選手権では3階級制覇を達成。

1992年の全日本選手権では決勝で三谷大和に敗れ、これがラストマッチに。

引退後は自衛隊体育学校監督も務めた。

弟の山田茂も元アマチュア選手で後に駿台学園の監督を務めた。1男2女の父で、次女の山田夏冴はプロボクサー[3][4]。元東洋太平洋スーパーバンタム級王者の勅使河原弘晶は娘婿(夏冴の夫)。

脚注

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  1. ^ 過去の日本代表五輪出場選手成績一覧表”. 大田区ボクシング連盟 (2008年2月23日). 2019年10月15日閲覧。
  2. ^ Wataru Yamada Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月3日閲覧。
  3. ^ ソウル五輪代表・山田渉さん「アマ時代の文成吉は本当に強かった」”. せりしゅんや的アマボク通信 (2014年5月2日). 2022年4月4日閲覧。
  4. ^ “『家、ついて行ってイイですか?』“美人”プロボクサーを苛んだ二重のプレッシャー”. サイゾー. (2020年3月30日). https://www.cyzo.com/2022/03/post_306354_entry.html 2022年4月4日閲覧。