山口県立下関西高等学校
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山口県立下関西高等学校 | |
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北緯33度58分20.9秒 東経130度55分44.7秒 / 北緯33.972472度 東経130.929083度座標: 北緯33度58分20.9秒 東経130度55分44.7秒 / 北緯33.972472度 東経130.929083度 | |
過去の名称 |
下關市立下關中學校 山口縣立下關中學校 山口県立下関高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 山口県 |
学区 | 全県一学区 |
校訓 | 天下第一関 |
設立年月日 | 1920年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
設置学科 |
普通科 探究科 |
学科内専門コース |
【探究科】 (2年次より) 人文社会科学科 自然科学科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D135210000309 |
高校コード | 35146G |
所在地 | 〒751-0826 |
山口県下関市後田町4-10-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
山口県立下関西高等学校(やまぐちけんりつ しものせきにしこうとうがっこう 英語: Shimonoseki-Nishi High School)は、山口県下関市に所在する公立の高等学校。略称は「西高」(にしこう)、「下西」(しもにし)。[1]
概要
[編集]- 校地
- 東駅地区にあり、「旭が陵」(あさひがおか)と呼ばれる高台に校舎が建つ。そのことにちなみ、文化祭は旭陵祭(きょくりょうさい)、同窓会組織は旭陵同窓会と称する。なお下関商業高等学校とは校地を接している。
- 校舎
- 創立100周年記念事業として、体育館北のプール跡地に「旭陵館」というセミナーハウスが建設され、授業や自習、集会などに用いられている。
- 校訓・校是
- 「天下第一関」を創立当初(旧制中学時代)より校是とする。この語は、万里の長城の最東端にある山海関に掲げてある扁額に由来。また、校訓は「自主・自律」。
- 校章
- 1949年(昭和24年)に制定。「高」を形どったシンプルなデザインである。また、「高」の字の下の口の部分のカーブが笑った顔を表している。
- 校歌
- 1962年(昭和37年)に制定。作詞は五味智英、作曲は平井康三郎による。歌詞は3番まであり、1番の歌詞は福岡県北九州市門司区にある「風師山」(かざしやま)から始まるユニークなものとなっている。また3番の最後に校是の「天下第一関」が登場。なお、作詞を務めた五味は多忙のため下関を訪問することができず、当時の校長が五味の元へ持参した資料のみで詞を制作した。
- 通学(全日制課程)
- 学校より3km以遠に住む生徒に限り自転車通学が認められている。
- 進学(全日制課程)
- 旧帝大では東京大学や、大阪大学など毎年数十名が進学、国立大学へは毎年100名超が進学している。
- 私立では昨今東京の私大への進学が減り、早慶上智へは毎年10名強となっている。
- 近年は九州、関西や岡山大学、山口大学等近隣の国立大学への進学が増加し、関関同立へは60名程度と進学者が劇的に増加している[2]。私立大学への進学に関して、以前は東京の大学への進学が圧倒的に多かったが、近年は関西の大学への進学が嗜好される傾向にある。
東大見学会
[編集]日本の最高学府である東京大学のキャンパスや第一線で 活躍する企業を見学し、将来への「志」や「意欲」を高め理アクティビティを毎年開催、難関大学を志望する仲間と寝食を共にし、刺激的な時間を過ごすことで、生徒同士の一体感を高めることを目的としている。
全国に例のない他県進学校との交流
[編集]福岡県有数の進学校(小倉高校・東筑高校)と定期的に合同学習会や模試を実施し、学校内では得られない刺激を得、他校の生徒と自分との違いを認識することで、学習面・精神面でのレベルアップをめざしている。
沿革
[編集]- 1920年(大正9年)
- 1923年(大正12年)
- 3月22日 - 下関市後田町長六(現・山口県立下関南高等学校校地)に新校舎が完成。
- 4月1日 - 県立移管により、「山口県立下関中学校」と改称。
- 1927年(昭和2年)7月 - 同窓会設立。
- 1930年(昭和5年)
- 1932年(昭和7年)7月6日 - 図書館が完成。
- 1936年(昭和11年)4月20日 - 工業科教室が完成。
- 1938年(昭和13年)
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令が施行される。
- この時の入学生から修業年限が4年となる。
- 「山口県立下関第二中学校」(夜間課程)を併設(定時制課程の始まり)
- 1944年(昭和19年)- 軍需工場等への学徒動員が始まる。
- 1945年(昭和20年)
- 3月 - 4年生(1941年(昭和16年)入学生)と5年生(1940年(昭和15年)入学生)の合同卒業式を挙行。
- 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、中等学校令施行以前に入学した生徒にも修業年限4年が適用されるようになったため。
- 4月 - 学校での授業を停止。ただし学徒動員は継続。
- 9月 - 終戦により、授業を再開。
- 3月 - 4年生(1941年(昭和16年)入学生)と5年生(1940年(昭和15年)入学生)の合同卒業式を挙行。
- 1946年(昭和21年)4月 - 修業年限が5年に戻る(4年で卒業することもできた)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 旧制中学校の募集を停止。
- 新制中学校を併設し(名称:山口県立下関中学校併設中学校、以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(ただし4年で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により旧制中学校が廃止され、新制高等学校「山口県立下関高等学校」(男子校)が発足。
- 旧制中学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校を継承し(名称:山口県立下関高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 通信教育部を開設。
- 夜間課程の下関第二中学校は「山口県立下関第二高等学校」となる。
- 1949年(昭和24年)4月21日 - 山口県立下関高等学校と山口県立下関第二高等学校の2校が統合され、「山口県立下関西高等学校」となる。
- 通常制普通課程(全日制課程 普通科)、定時制普通課程(定時制課程 普通科)、通信教育部を設置。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 山口県立下関南高等学校を統合し「南校舎」とする。定時制(夜間部)、定時制黒井分校と定時制東部分校の2分校を設置。
- 1951年(昭和26年)3月31日 - 東部分校を山口県立下関東高等学校に移管。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 南校舎が分離し「山口県立下関南高等学校」として独立(再設置)。
- 1955年(昭和30年)12月20日 - 校旗を制定。
- 1959年(昭和34年)10月2日 - 創立40周年を記念して図書館が完成。
- 1962年(昭和37年)
- 4月1日 - 黒井分校の定時制課程の募集を停止し、全日制課程を設置。
- 12月24日 - 校歌を制定。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 通信制課程を山口県立山口高等学校へ移管し、協力校となる。
- 1965年(昭和40年)3月31日 - 黒井分校の定時制課程を廃止。
- 1968年(昭和43年)
- 1970年(昭和45年)
- 1972年(昭和47年)11月1日 - 黒井分校を小串に移転し、「響分校」に改称。
- 1974年(昭和49年)11月13日 - 第二運動場が完成。
- 1976年(昭和51年)11月29日 - 響分校の特別教室棟が完成。
- 1980年(昭和55年)4月1日 - 響分校が分離し、「山口県立響高等学校」として独立。
- 1982年(昭和57年)7月6日 - 本館棟が完成。
- 1983年(昭和58年)3月25日 - 特別教室棟が完成。
- 1984年(昭和59年)3月27日 - 普通教室棟が完成。
- 1986年(昭和61年)10月9日 - 部室が完成。
- 1994年(平成6年)3月29日 - 武道場が完成。
- 1995年(平成7年)4月25日 - 弓道場が完成。
- 2006年(平成18年)7月14日 - 武道場の2階に新体育館が完成。
- 2008年(平成20年)3月25日 - 屋内運動場兼講堂を解体撤去。
- 2013年(平成25年)7月 - 福岡県立小倉高等学校・福岡県立東筑高等学校と3校合同学習会を開始。
- 2017年(平成29年)4月1日 - 理数科に代わり探究科を設置。
- 2018年(平成30年)
- 定時制課程普通科で最後の新入生募集を行う。
- 4月1日 - 文部科学省のスーパーサイエンスハイスクールに指定される。
- 2019年(令和元年)
- 2022年(令和4年)4月1日 - 定時制課程普通科が廃止[4]
- 2023年(令和5年) - スーパーサイエンスハイスクールに再指定され、2期目となる。
学校行事
[編集]- 3学期制
- 旭陵講演会
- 毎年6月の旭陵祭の前日に開催され、同校の著名な卒業生が招かれる。
- 旭陵祭(文化祭)
- 毎年6月に開催される。基本的にクラス単位で自由にイベントを行い、3年は食品バザーを行うこともできる。
- クラスマッチ
- 毎年7月に2日間、3月(1・2年のみ)に1日間行われる。学年の枠がなく、1年生と3年生が試合をすることもある。
- 体育大会
- 毎年9月に行われ、出身中学校により、東部、西部、南部、北部に分かれて競う。
- 校外研修(修学旅行)
- 2年の冬(年次によっては1年の冬)に行われるスキー旅行。以前は長野だったが、2004年からは北海道に行くことが通例となっている。また、探究科は海外(シンガポール・マレーシア)と国内(東京)の選択。
- 生徒大会(生徒総会)
- 毎年2月に開催。
部活動
[編集]- 全日制課程
-
- 運動部
- 定時制課程(2022年4月廃止)
-
- バスケットボール部
- 卓球部
- バドミントン部
著名な出身者
[編集]- 西山太吉(ジャーナリスト、西山事件当事者、毎日新聞記者)
- 町田顯(前最高裁判所長官)
- 井上正治(法学者、九州大学名誉教授)
- 中部銀次郎(アマチュアゴルファー)
- 倉重英樹(プライスウォーターハウスクーパースコンサルタント会長兼社長、日本IBM副社長、日本テレコム社長、リップルウッド日本法人社長)
- 木村宏(日本たばこ産業社長)
- 船戸与一(小説家、直木賞受賞)
- 奥平剛士(日本赤軍幹部、テル・アビブ空港乱射事件(リッダ闘争)で死亡)
- 島泰三(類人猿学者)
- 岡村定矩(東京大学副学長、天文学者)
- 山下晋司(東京大学名誉教授)
- 山下友信(東京大学名誉教授)(同志社大学教授)
- 桝屋敬悟(政治家・公明党衆議院議員、元厚生労働副大臣)
- 河田正也(日清紡ホールディングス社長、日本卓球協会会長)
- 来島達夫(JR西日本社長、交通文化振興財団理事長)
- 泉原雅人(UBE株式会社社長)
- 廣瀬千春(立花証券社長)
- 山崎史郎(官僚・内閣官房参与、駐リトアニア大使、内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局地方創生統括官)
- 渡邊敏夫(岩谷産業 副会長)
- 早田幸政(中央大学理工学部教授、教育行政学者)
- 横溝洋一郎(テレビ山口アナウンサー)
- 木村洋二(STVラジオ取締役エグゼクティブアナウンサー)
- 蜷川順子(関西大学文学部教授、美術史学者)
- 松岡由幸(慶應義塾大学理工学部教授)
- 林芳正(政治家・自民党衆議院議員、内閣官房長官)
- 中村秀明(毎日新聞論説委員)
- 矢野康治(官僚・財務事務次官)
- 三隅隆司(一橋大学大学院経営管理研究科教授)
- 柳瀬陽介(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)
- 門出政則(佐賀大学理事・副学長、元佐賀大学海洋エネルギー研究センター長、元日本伝熱学会会長)
- 小幡英之(作詞家)
- 大庭昭彦(アクサローゼンバーグ取締役)
- 勢一智子(西南学院大学法学部教授、総務省国地方係争処理委員会委員)
- 後藤康文(北海道大学大学院文学研究科教授)
- 青池良輔(アニメーター)
- 貞包みゆき(フリーアナウンサー)
- 小坂俊史(漫画家)
- 前田晋太郎(政治家・下関市長)
- 河村太朗(NHK大分放送局)
- 砂山圭大郎(文化放送アナウンサー)
- 三坂知絵子(女優)
- 寺川奈津美(気象予報士)[要出典]
- 井口謙 (RKB毎日放送アナウンサー)
- 藤永壮(大阪産業大学教授)[要出典]
- 児林大介(NHKアナウンサー)
- 田原克志(日本医療安全調査機構専務理事、元厚労省高級官僚)
交通
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- サンデンバス 「東駅」バス停より徒歩5分
- 最寄りの道路
- 山口県道248号下関港安岡線
- 山口県道258号武久椋野線
- 山口県道57号下関港線
- 中国自動車道・関門橋「下関IC」より車で10分
周辺
[編集]- 梅光学院大学
- 山口県立下関双葉高等学校(旧山口県立下関中央工業高等学校跡地)
- 下関市立下関商業高等学校
- 山口県立下関南高等学校
- 山口県立下関南総合支援学校(旧・山口県立盲学校)
- 下関市立生野小学校・幼稚園
- 下関市立向山小学校
- 山口県下関自動車学校
- 戦場ヶ原公園
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 下関市内では「西高」、市外では他校との混同を避けるため「下西」が好まれる。
- ^ “過去5年間の主な大学進学状況”. 山口県立下関西高等学校. 2023年1月14日閲覧。
- ^ 文関尋常小学校は翌年4月に廃校が決まっていた。
- ^ 山口県教育委員会規則第8号 山口県報 2022年(令和4年)3月29日