将監 (印西市)
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将監 | |
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北緯35度49分57.1秒 東経140度12分31.2秒 / 北緯35.832528度 東経140.208667度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 印西市 |
地区 | 本埜地区 |
標高 | 6 m |
人口 | |
• 合計 | 167人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
270-2301[2] |
市外局番 | 0476[3] |
ナンバープレート | 習志野 |
※座標・標高は将監青年館付近 |
将監(しょうげん)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-2301[2]。
地理
[編集]北は栄町押付、東は安食卜杭、南東は松木、南は笠神、西は本埜小林、北西は栄町南に隣接している。
小字
[編集]小字は以下の通り[4]。
- 清兵エ脇(せいべえわき)
- 堤附(つつみつき)
- 四間道附(よんけんみちつき)
- 高津(たかつ)
- 待網(まちあみ)
- 古川(ふるかわ)
- 堤外(ていがい)
- 上堤外(かみていがい)
歴史
[編集]江戸期は将監新田であり、下総国印旛郡のうち。笠神埜原新田に属する。寛文年間笠神村立野原を開発して成立。寛文11年国手形寺請状改綴によれば、入百姓26、出身地は布川領19、印西領4など(吉植家文書)。はじめ幕府領、元禄3年から佐倉藩領、享保8年から再び幕府領、なお、一部が天保10年浜松藩領、弘化2年幕府領、同4年再び浜松藩領となり、以後幕府・浜松藩の相給。村高は、「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに見えず、「旧高旧領」134石余。江戸中・後期は笠神埜原新田10か村組の1つで、天保3年十ヶ村請免状写によれば、反別26町5反余、大部分が畑・埜地畑高で、年貢は米8斗余・永5貫37文。また、同9年諸商渡世向取調書上帳によれば、家数30、うち居酒屋2・穀物買1・小間物1・菓子卸1・餅菓子出商2・絞油屋1、他は農業、人数174(吉植家文書)。明治6年千葉県に所属。神社は大竜神社・天神社、寺院は真言宗密蔵院、ほかに念仏庵(印旛郡誌)。明治22年埜原村の大字となる[5]。
年表
[編集]- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行し、下曽根新田、下井新田、松木新田、将監新田、中田切新田、長門屋新田、和泉屋新田、佐野屋新田、甚兵衛新田、中根新田、行徳新田、松虫新田、押付新田、萩原新田、安食卜杭新田の大部分、小林新田、酒直卜杭新田が合併し埜原村が発足。埜原村大字中田切新田となる。
- 1910年(明治43年) - 中田切新田が改称し、埜原村大字中田切となる[5]。
- 1913年(大正2年)4月1日 - 本郷村・埜原村が合併し、本埜村が発足。本埜村中田切となる。
- 2010年(平成22年)3月23日 - 印旛村・本埜村が印西市に編入。印西市中田切となる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
将監 | 64世帯 | 167人 |
施設
[編集]- 将監青年館
- 蜜蔵院
- 大龍神社
交通
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1453頁
- ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 458頁
栄町南 | 栄町押付 | |||
本埜小林 | 安食卜杭 | |||
将監 | ||||
笠神 | 松木 |