宮川久次郎
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(宮川岸雄から転送)
宮川 久次郎(みやかわ きゅうじろう、文久2年2月3日 (1862)-?[1])は、明治期日本の外交官、銀行家。在広東副領事、在香港副領事、在ニューヨーク一等総領などを歴任した。
人物
[編集]東京府出身。高等商業学校(現一橋大学)卒業後、外務省入省[2][3][1]。森有礼文部大臣による上申により[4]、1888年に交際官試補と兼任して母校高等商業学校教諭に任じられ[5]、統計を講じた[4]。1889年広東副領事[6]。同年汕頭副領事及び瓊州副領事を兼務[7]。1890年香港副領事[8]。1895年ニューヨーク一等領事[9]。1897年に非職となり[10]、のち横浜正金銀行副支配人などを務めた[2][1]。1900年叙正六位[11]。1908年の申酉事件では、成瀬隆蔵、図師民嘉、村瀬春雄、八十島親徳と大学問題実行委員に就任。文部大臣らの説得に尽力し、母校防衛に貢献した[12][13]。
家族
[編集]- 父・宮川彦五郞 ‐ 幕臣。維新後徳川氏に従い静岡に転居[14]。
- 兄・宮川盛 ‐ 練塀尋常小学校(のちの台東区二長町小学校)校長[14]。長男の宮川三一は東京帝国大学工科大学電気工学科卒の逓信局技師[15]。妻の姪の夫に男爵井上清純[15]。
- 前妻・とめ(1880-) ‐ 日本銀行理事・与倉守一の養女[16]
- 長男・久雄(1899-)[16]
- 後妻・宮川ヒサ(1878-) ‐ 宇都宮藩元家老で河内郡郡書記の大羽英順の四女[17][18]。女子高等師範学校卒。夫没後、長男(前妻の子)が家督相続したため遺産分与なしで分家し、女学校教師に戻って4人の実子を育てた[19]。1931年から1948年まで桜蔭高等女学校第二代校長を務めた[20]。講道館に正式入門を許された初の女性でもある[21]。
- 長女・田村千枝子(1907-) ‐ 満州国大連税関長・田村敏雄の妻[22]。夫の敏雄は、京都府出身、東大卒、大蔵省入省後、大連税関長、満洲国浜江省次長を経て、戦後は国際善隣クラブ理事、池田勇人首相の後援会「宏池会」の代表を務めた[23]。
- 三男・宮川三雄(1909-) ‐ 東北帝国大学法文科卒業後、東京中央放送局入社[24]。アナウンサー、編成、企画を経て技研テレビ実験班の責任者となる[25]。テレビ放送70周年記念NHKドラマ「テレビとはあついものなり〜放送70年TV創世記〜」では大倉孝二が演じた。
- 四男・宮川岸雄(1911-) ‐ 東京工業大学卒業後、逓信省工務局に入り、のち郵政省電波監理局長[24][26]。岳父に抜山平一[24]。
- 五男・宮川昌雄(1914-1960) ‐ 東京帝国大学経済科卒、海軍主計大尉[24]。
- 二女・喜代子(1914-) ‐ 昌雄と同年同月の生まれ。東京女高師保育実習科出身[24]。
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 宮川久次郞 (第4版 [大正4(1915)年1月 の情報)]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
- ^ a b 『東京商業学校五十年史』東京商業学校編 昭14
- ^ 東京高等商業学校一覧 明治25-26年
- ^ a b 坂野鉄也「初期高等商業学校における経済学教育:1893年までの東京高等商業学校における「經濟」と「統計」」『滋賀大学経済学部研究年報』第27巻、滋賀大学経済学部、2020年12月、13-24頁、CRID 1050287462748558848、hdl:10441/00016318、ISSN 1341-1608。
- ^ 官吏進退・明治二十一年官吏進退十二・文部省一 交際官試補宮川久次郎高等商業学校教諭兼任ノ件
- ^ 在広東領事館アジア歴史資料センター
- ^ 官報 1889年07月30日
- ^ 1890年04月22日
- ^ 官報 1895年06月27日
- ^ 官報 1897年09月14日
- ^ 官報 1900年12月01日
- ^ 「海上保険学の父。村瀬文庫寄贈。申酉事件を解決し、廃校の危機から母校を救う。(1871~1924)」一橋新聞
- ^ 「4「一橋商科大学実現論」に発展」如水会
- ^ a b 宮川盛『大正名家録』原田道寛 二六社編纂局 1915
- ^ a b 宮川三一『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
- ^ a b 宮川久次郎『人事興信録』初版 [明治36(1903)年4月]
- ^ 宮川ヒサ大衆人事録 [全国篇] 12版、1937
- ^ 『栃木県職員録 明治18年4月改正』p30
- ^ 『あるおんな共産主義者の回想』福永操、れんが書房新社、p38
- ^ 桜蔭学園沿革学校法人桜蔭学園
- ^ 【女性×柔道】女子柔道の始まりについて志道館、2021年10月20日
- ^ 『人事興信録 第14版 下』1943「田村敏雄」
- ^ 田村敏雄伝―自民党派閥宏池会初代事務局長・池田勇人の高度成長政策を支えた人物小林英夫『アジア太平洋討究』No. 28( 2017)
- ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 下』1943「宮川ヒサ」
- ^ 『テレビ創業期の人たちの証言集1~7』(1978 年)米倉律、放送研究と調査、2011.7
- ^ 第46回国会 衆議院 逓信委員会 第28号 昭和39年6月5日国会会議録
- ^ 官報 1888年07月21日