安部信古
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化12年(1815年) |
死没 | 天保13年10月7日(1842年11月9日) |
改名 | 虎之助(幼名)、信古 |
戒名 | 義徳院廓山魯道 |
墓所 | 埼玉県深谷市の源勝院 |
官位 | 従五位下摂津守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉、家慶 |
藩 | 武蔵岡部藩主 |
氏族 | 安部氏 |
父母 | 父:安部信操、養父:安部信任 |
兄弟 | 信任、信古、信察、村瀬重教、井上正民室 |
妻 | 正室:竹腰正定娘 |
子 | 信宝 |
安部 信古(あんべ のぶひさ)は、江戸時代後期の大名。武蔵国岡部藩11代藩主。官位は従五位下・摂津守。
生涯
[編集]文化12年(1815年)、9代藩主・安部信操の四男として誕生。文政11年(1828年)6月10日、兄で10代藩主・安部信任が死去したため、末期養子として家督を継いだ。
天保2年(1831年)9月28日、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下摂津守に叙任する。天保3年(1832年)、大坂加番を命じられた。天保5年(1834年)4月、日光祭礼奉行を命じられる。天保12年(1841年)、再び日光祭礼奉行を命じられる。天保13年(1842年)、大坂加番を命じられる。同年10月7日、大坂で死去、享年28。跡を長男・信宝が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 竹腰正定の娘
子女
- 安部信宝(長男)