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安部信古

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
安部信古
時代 江戸時代後期
生誕 文化12年(1815年
死没 天保13年10月7日1842年11月9日
改名 虎之助(幼名)、信古
戒名 義徳院廓山魯道
墓所 埼玉県深谷市の源勝院
官位 従五位下摂津守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
武蔵岡部藩
氏族 安部氏
父母 安部信操養父安部信任
兄弟 信任信古信察村瀬重教、井上正民室
正室竹腰正定
信宝
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安部 信古(あんべ のぶひさ)は、江戸時代後期の大名武蔵国岡部藩11代藩主。官位従五位下摂津守

生涯

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文化12年(1815年)、9代藩主・安部信操の四男として誕生。文政11年(1828年)6月10日、兄で10代藩主・安部信任が死去したため、末期養子として家督を継いだ。

天保2年(1831年)9月28日、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下摂津守に叙任する。天保3年(1832年)、大坂加番を命じられた。天保5年(1834年)4月、日光祭礼奉行を命じられる。天保12年(1841年)、再び日光祭礼奉行を命じられる。天保13年(1842年)、大坂加番を命じられる。同年10月7日、大坂で死去、享年28。跡を長男・信宝が継いだ。

系譜

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父母

正室

子女