安藤直治
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長12年(1607年) |
死没 | 寛永13年9月2日(1636年9月30日) |
改名 | 長次郎(幼名)、直重、直治 |
別名 | 彦兵衛(通称) |
戒名 | 嶺藤院棨弇 |
墓所 | 愛知県岡崎市の妙源寺 |
官位 | 従五位下・飛騨守 |
主君 | 徳川頼宣 |
藩 | 紀州藩附家老(紀伊田辺藩主) |
氏族 | 安藤氏 |
父母 | 父:安藤直次 |
兄弟 |
重能、直治、椋原政長室、 加賀爪忠澄正室 |
子 | 義門 |
安藤 直治(あんどう なおはる)は、江戸時代前期の紀伊国田辺藩2代藩主(紀州藩附家老)。通称は彦兵衛。官位は従五位下・飛騨守。
生涯
[編集]慶長12年(1607年)、初代藩主で江戸幕府老中・安藤直次の次男として駿河国にて誕生。幼名は長次郎。兄・重能が慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で戦死したため嫡子となり、寛永11年(1634年)7月に従五位下、飛騨守に叙任する。
寛永12年(1635年)、父の死去により家督を相続する。同年7月12日に江戸城で3代将軍・徳川家光に御目見したが、1年後の寛永13年(1636年)9月2日に紀伊国で死去した。享年30。跡を長男・義門が継いだ。