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宇野円空

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宇野 円空うの えんくう
人物情報
生誕 (1885-11-27) 1885年11月27日
日本の旗 日本京都府京都市
死没 1949年1月1日(1949-01-01)(63歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 宗教学民族学
研究機関 東京大学
学位 文学博士
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宇野 円空(宇野圓空、うの えんくう、1885年11月27日 - 1949年1月1日[1])は、日本宗教学者民族学者

経歴

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1885年、京都市にある西本願寺派の尊徳寺で生まれた。東京帝国大学文科大学哲学科で学び、1910年に卒業[2]。大学では、マルセル・モースに師事した。同年、京都帝国大学大学院へ進んだ[3]

1912年より佛教大学教授となった。1920年から1923年にかけて欧州(フランス、ドイツ、オランダ)に研究留学し、宗教民族学の理論的研究に従事した。1922年、龍谷大学教授となった。1926年、東京帝国大学文学部専任講師となり、1927年に助教授昇格[4]。1934年に学位論文『マライシアニ於ケル稲米儀礼』を東京帝国大学に提出して文学博士の学位を取得[5]。1942年に東洋文化研究所教授となり、1943年から1946年まで同研究所第2代所長を務めた[6]。1946年に東京大学を定年退官し、同時に名誉教授となった[7]

受賞・栄典

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研究内容・業績

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宗教学から研究を開始し、宗教民族学(宗教人類学)という新しい分野を開拓した。

著作

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著書

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  • 『宗教学概論』文信社 1927
  • 『宗教民族学』人類学叢書 岡書院 1929[9]
  • 『宗教学』岩波書店 続哲学叢書 1931
  • 『宗教の史実と理論』同文館 1931
  • 仏教が要求する宗教生活』仏教研究叢書 大東出版社 1932
  • 修験道』東方書院 日本宗教講座 1934
  • 『民族精神の宗教面』仏教新興叢書 仏教時報社 1935
  • 『家庭と宗教 正信と邪教』文部省社會教育局 家庭教育叢書 1936
  • 『国家の宗教的性格』日本文化協会 日本文化小輯 1936
  • 『宗教的情操と仏教の理念』新更会刊行部 1938
  • 『転換期の宗教』有光社 精神文化叢書 1938
  • 『仏教が要求する宗教生活』大東出版社 1938
  • 『マライシヤに於ける稲米儀礼』東洋文庫論叢 1941
  • 『宗教学通論』八洲書房 1943
  • 『仏教信仰聖話大集』国書刊行会 1977

編著

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共著

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  • 『新修日本精神讀本』(朝日新聞社、1938(昭和13年))
    • 執筆「やまとだましひ」東京帝國大學助教授文學博士 宇野圓空 / p.40。[10]
井上哲次郎清原貞雄武田祐吉植木直一郎大倉邦彦松永材宇野圓空河野省三村瀬武比古栗田元次藤澤親雄中河與一杉森孝次郎亘理章三郎藤原銀次郎蓑田胸喜浦本浙潮鼓常良津久井龍雄加藤一夫三井甲之赤松克麿大串兎代夫岡本かの子
  • 『南方亞細亞の文化』〈新亞細亞叢書 4〉(大和書店、1942)[11]
    • 執筆「東印度諸島の文化層」宇野圓空 / p.107。[12]

翻訳

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  • エミル・ブートルー『現代哲学に於ける科学と宗教』赤松智城共訳 博文館 1919
  • シー・エッチ・トーイ『宗教史概論 上巻』赤松智城共訳 博文館 1922
  • 『根本仏教聖典叢書 現代意訳 第2巻 中阿含経抄 経部 2」(林五邦共訳) 根本仏教聖典叢書刊行会 1923

論文

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参考資料

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脚注

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  1. ^ 『著作権台帳』
  2. ^ 『官報』第8117号、明治43年7月13日、p.293
  3. ^ 『官報』第8184号、明治43年9月30日、p.574
  4. ^ 『東京帝国大学一覧 昭和5年度』東京帝国大学、1930年、p.390
  5. ^ 『官報』第2202号、昭和9年5月8日、p.208『マライシアニ於ケル稲米儀礼』(文学博士論文)東京帝国大学、1934年4月30日。NAID 500000490901 国立国会図書館書誌ID:000010636566 
  6. ^ 東京大学東洋文化研究所(歴代所長)
  7. ^ 『東洋文化研究所の五十年』
  8. ^ 第32回(昭和17年5月13日) 日本学士院
  9. ^ 書評
  10. ^ 国立国会図書館書誌ID:000000639882
  11. ^ 宇野圓空 近代文献人名辞典.2024年2月13日閲覧。
  12. ^ 国立国会図書館書誌ID:000000911637

外部リンク

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