宇都宮業綱
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時代 | 平安時代末期 - 鎌倉時代初期 |
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生誕 | 保元元年(1156年)頃 |
死没 | 建久3年2月24日(1192年4月8日) |
改名 | 業綱→成綱 |
別名 | (大庭)次郎 |
官位 | 左兵衛尉、左衛門尉、伊予守護 |
氏族 | 藤原氏、下野宇都宮氏 |
父母 | 宇都宮朝綱、醍醐局 |
兄弟 | 業綱、公頼、那須頼資 |
妻 | 平長盛娘(または平忠正娘) |
子 | 頼綱、業綱、永綱、塩谷朝業 |
宇都宮 業綱(うつのみや なりつな)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士。宇都宮氏4代当主。宇都宮朝綱の子。
「業綱」は初名で後に「成綱」とも名乗った。そのため、宇都宮成綱と呼ばれることもある。子の朝業は塩谷氏に養子として入嗣し、宇都宮支族としての塩谷氏の祖となった。なお、子にも同名の「業綱」がいる。
略歴
[編集]文治5年7月19日(1189年9月8日)には、奥州合戦に発向する大手軍に父・朝綱と共に参加する。吾妻鏡の同年7月25日(9月14日)の記述によると、この時既に子の頼綱は小山政光の猶子に出されている。その3年後の建久3年(1192年)、父朝綱に先立って早逝した。
子頼綱と朝業は歌人として著名であるが、業綱自身も歌道に優れていた。