大谷和子 (東本願寺)
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和子女王 (大谷和子) | |
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続柄 | 伏見宮邦家親王第四王女 |
称号 | 嘉恵宮(嘉枝宮) |
出生 |
1830年1月19日(文政12年12月25日) |
死去 |
1884年(明治17年)6月4日(享年55) |
配偶者 | 大谷光勝 |
子女 |
大谷光瑩 大谷勝信 |
父親 | 伏見宮邦家親王 |
母親 | 古山千恵 |
大谷 和子(おおたに ともこ、1830年1月19日(文政12年12月25日) - 1884年(明治17年)6月4日)は、日本の元皇族で、旧名は和子女王。幼称は嘉恵宮(のちに嘉枝宮)。東本願寺第21世法主・大谷光勝の妻。東本願寺裏方。
生涯
[編集]1829年(文政12年)12月25日、伏見宮邦家親王の第四王女として生まれ、嘉恵宮(嘉枝宮)と名乗る。のちに祖父である伏見宮貞敬親王の養女となる。 1848年(嘉永元年)12月16日、浄土真宗の宗祖親鸞の末裔で東本願寺第21世法主・厳如(大谷光勝)へ降嫁。
1884年(明治17年)6月4日、逝去。享年55(満54歳没)。